羽黒山

羽黒山

出羽三山「羽黒山」

羽黒山

どこまでも続く

幾千幾万の人々が
様々な思いや願いを胸に
一段一段踏みしめて
登りそして下っていった石段は

どこまでも続いていく

永遠にさえ感じられる
その積み重ねは
人の生の苦しみか
それとも
その先に続く幸福への道程か

羽黒山羽黒山羽黒山

山形県鶴岡市からバスで30分、鶴岡市羽黒町に開山およそ1400年前と言われる修験者の山、羽黒山が在る。泊瀬部(はつせべ)の王子として知られる第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏(れいう)に導かれ、この羽黒山に登拝、羽黒権現を知覚し、山頂に祠を築いたのが始まりといわれている。蜂子皇子は月山と湯殿山においてもそれぞれ月山権現と湯殿権現を知覚し、いわゆる「出羽三山」とよばれる霊山三山の開祖となった。

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羽黒山羽黒山羽黒山
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寝ぼけ眼をこすりながら、バスを降り立った。ひんやりとした空気が心地よい。山門をくぐる前だというのに、既に辺り一体には清澄で凛とした透明な空気が漂っている。いわんや、山門の先においてをや。そこはまさに神聖なる修験者の領域。門を境に空気ががらりと変わる。

隋神門と呼ばれるその山門をくぐる前に、冷たい水で顔を洗い目を覚ます。手を清め、出羽三山神社と大きく彫られた碑を右目にゆっくりと鳥居をくぐる。

時刻は午前6時過ぎ。先刻白装束の修験者がくぐっていった山門を抜けると、苔むした石段が右手にカーブしながら下っていくのが見える。ぼんやりと重い頭を抱えながら、踏み外さぬように慎重に一段一段降りていく。

遙か前方を一人、軽やかに階段を下りていくのがみえる。ひらりひらりと舞うように、ふわりふわりと飛ぶように、軽やかに降りていく。それは精霊のようにも童子のようにも小鳥のようにも見える。

羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山

導かれるままに、気がつけばここまでやってきた一昨日からの一連の出来事が頭をよぎる。熱気に溢れた光の祭、神々しいまでに赤く染まった朝の雲、吸い込まれそうな地底の湖の青い水、夏の午後の空高く昇る雲。一人幻想の世界を駆け抜けていたような気がする。自分がこの場所にいることさえ、何かの幻なのではないかと思う。ふと目覚めたら、草むらの中で、泥団子を片手に横たわっているのに気づくのではないかと。深閑とした木々の連続。清い空気が産毛を優しく撫でる。どこかで鳥がざわめいた。

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出羽三山と山岳信仰

蘇我氏との政争に巻き込まれ、その難を避けるために大和の国からやってきた蜂子皇子によって開山されて以来、朝廷や各時代の武将そして一般の民衆によって羽黒山は篤く信仰され、守られてきた。かの空海や最澄もこの山に登り修行を積んだと伝えられている。鬱蒼と生い茂る樹木、鳥が時折鳴くのみであとは静寂が広がる幽玄な世界。自然崇拝、山岳信仰と、その後の仏教信仰が交じり合って羽黒派修験道となり、その波は全国に広がっていった。

ところで、「講」というのをご存知だろうか。「講」とは神仏を祭り参詣する人々によって組織された団体の事で、富士講、伊勢講、稲荷講、大師講などがある。この「講」に属する人々は、今ほど移動が容易ではなかった時代に、積み立てをしたり、相互扶助をしあい、何年かに一度、ときには一生に一度、自分達が信仰する神仏に参詣した。江戸時代に特に盛んになり、その人々の宿泊施設として、また拠点として作られ発展したのが宿坊で、現在もこの「講」や「宿坊」は至る所にある。東京近郊では御岳山の宿坊が有名だ。

この羽黒山修験道の周囲にも宿坊が今も数多く在る。現在のように国家が管理をするようになる明治以前は、この宿坊の人々によって羽黒山は守られてきた。参道を整備し、講を結んで定期的に詣で、またその信仰を他の地域にも広げる努力をしたという。今も残る、随神門から始まる表参道の全長1.7キロ、総段2446段と言われる石段は360年前に整備されたもの。両側には立派な杉の大木が並ぶ。昼でも荘厳な雰囲気に包まれ、行くものの背筋を正さずにはおかない、まさに時の積み重ねと沢山の人々の信仰の深さと勤勉さによって作り上げられた由緒ある石段だ。

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参道の入り口、随神門から二百段ほど下っただろうか、木の小さな祠が幾つか見えてきた。いずれも古そうな面持ちである。屋根は葺き替えられて綺麗なのだが、その柱や壁は所々が剥げ、長い間風雪に耐えそこに建ち続けてきたことを物語っている。そこを過ぎると小さな清流が姿を現す。朱色の橋がかかり、対岸に小さな祠が静かに佇んでいるのが見える。出羽三山に詣でる人々は月山にその源を発するこの清流で身を清めたのだという。

羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山
羽黒山羽黒山

橋を渡ってまもなく、道の左側に「爺杉」と呼ばれる立派な杉の大木が見える。樹齢1000年ともいわれる大変大きな杉の木だ。その大きさ、高さは周囲の木々と比較しても群を抜いている。かつてはこの杉のそばに婆杉とよばれる杉があり、この爺杉と並ぶ羽黒山の名物であったが、台風で失われてしまった。

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そしてこの爺杉の少し先、杉並木の中にひっそりと、しかし圧倒的な存在感でもって建っているのが、国宝にも指定されている五重塔。高さは29.9メートル。東北地方では最古の塔だ。創建は1100年前、平将門の手によるものと伝えられる。現在のものは1372年建立。美しい石畳の道の先にどっしりと建つその姿は周囲の木々の緑とあいまって、とても厳かな雰囲気に包まれている。近くに寄って見上げたまま、思わず知らず息を呑む。木で作られた建物独特の、命の脈動さえ感じる生命に溢れるその姿。人が作ったものが、自然に融合していく奇跡的で美しい過程を見るようでもある。

羽黒山羽黒山

さて、そこから先はいよいよ登りである。ひたすら登る。登り続ける。一歩一歩。一段一段。7泊8日逗留したという松尾芭蕉もこうして登ったのだろうか、400本以上あるという杉の並木の中、所々ひしゃげたり、かけたりしている石段をとことこと登っていく。ようやく目覚めた体は徐々に軽くなり、石段を登る足も軽やかになってくる。山頂まではおよそ50分。途中に茶屋も在る。

羽黒山羽黒山羽黒山
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山頂手前の鳥居をくぐるとそこに思わぬ広さの空間が広がっているのが目に飛び込んでくる。数々の建物が立ち並び、池や広場も見える。前方左手にある萱葺き屋根の重厚豪壮な建物が「三神合祭殿」だ。月山と湯殿山は積雪が深く冬季の参拝が不可能なため、この羽黒山山頂に在る三神合祭殿に合祀されているという。高さ28メートル、厚さ約2.1メートルもある萱葺きの屋根は圧巻だ。怒涛の迫力でもってこちらにせまりくるようである。

羽黒山羽黒山羽黒山

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蜂子皇子が入った当時の羽黒山、阿久谷(あくや)は転じて「悪谷」、さながら地獄の谷のようであったという。この地は、その当時、風葬の場であった。そして、月山は人の魂を天に送る場所であった。人の生が終わり、魂が空に昇る場所。

ついぞ近代まで、世界は医療も科学も知らず、死はごく身近な存在であった。人々は敬虔で謙虚。畏怖することを知り、尊ぶことを知っていた。自然に感謝し、自然を敬った。日常に感謝し、大いなる存在に感謝した。便利さはなくとも、心があった。魂があり、命があった。一体人の幸せとは何なのか?人が環境に左右されずに生きてはいかれぬ生き物で在るとしても、その環境を選ぶことのみが幸せに繋がりうるのか?現代社会の抱える膨大な問題の答えがそこに隠されているような気がしてならない。日々の生活の大変さと現世的な幸せは矛盾するものではないのかもしれない。「似たもの」を作ることが出来る科学も結局「そのもの」は作れないのだ。

生と死。そして人の幸福。今ほど、「死」が「生」からそれほど切り離されていなかった時代、人々は何を思い、そして何を願ったのだろう。

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