大陽寺

大陽寺

奥伊勢の諸災救助の祈祷の寺

奥伊勢の長閑で美しい里山の風景を見ながらのんびり走っていると、進行方向左手に、幟が幾本も立ち並んだ寺院が見えてきた。手前の駐車スペースには何台か車が止まっているが、人の気配はない。首が痛くなるほどの高さではないが、それでも四十段ほどの石段が続く小高い丘のような場所にある。石段の脇には、霊符山大陽禅寺と書かれた碑。荘厳とか華麗というのではなく、ほっとするような身近な感じのする穏やかな雰囲気。何本も並ぶ幟も威圧感はなく、むしろ明るい開放感を感じるものだ。見るとそれぞれに寄進した人たちの名前が書いてある。大切にされ守られている事がひと目でわかるような空気に満ちている。

霊符山大陽寺(れいふさんたいようじ)は三重県内陸部、多気郡大台町栗谷にある寺院。989年(永延3年)3月、花山法皇が西国33ヶ所巡幸の途上、三瀬の宿舎から来山、17日間御参籠されたと伝えられ、古くから祈願所として知られていた。

その後、伊勢の国司・北畠材親の代に殿堂が建立され「北畠家」の祈願所とされたが、1576年(天正4年)、伊勢の兵乱の際に焼失、北畠氏も滅亡した。北畠氏亡き後、氏の遺臣谷内蔵之助の嫡子谷刑部大夫が、大陽庵として霊符の尊像をまつる。1723年(享保8年)には万明弘宗和尚を請じ再興された。ご本尊は北辰霊符妙見菩薩。北辰霊符妙見菩薩(鎭宅霊符尊神・北辰妙見菩薩)は北極星が神格化され仏教と結びついたもので、大陽寺では新年と節分会にその年の星祭り祈願を行う。奥の院は別名星の宮ともいわれ、伊勢・志摩一帯の漁師・漁業関係者の信仰者が多い。

現在の本堂は、1806年(文化3年)から17年かけて建立されたもの。宗派は曹洞宗だが、本堂内陣は神社の造りで、聖徳太子の作とも伝えられる本尊の木彫仏のほか、内陣の天井には四方に二十八宿の密画、中央に狩野法眼作の「巻龍画」、淀君が伊勢内宮の護摩堂に寄進した「つり灯籠」もある。海上安全、大漁祈願、家内安全、交通安全、商売繁栄などの守りとして、霊験あらたかな霊場として、古くから近在の人々の信仰を集めてきた寺院だ。

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