白川郷

世界遺産「白川郷・合掌造りの集落」 岐阜・白川郷

「結い」

「結い」という言葉がある。辞書を紐解くと、「田植えや、屋根の葺き替えなどを共同作業で行うこと」とある。特に小さな集落や共同体で、大きな労力が必要となる仕事をする時に相互に助け合い、それを成し遂げていく、という精神だ。人間一人の力には限りがある。しかし、それぞれの力を合わせれば、様々なことが可能になる。かつての日本ではこの「相互扶助」が日常的に行われてきた。そこには、縛りや不自由が存在するのもまた確かだが、それ以上に総和で成し遂げられるものは大きくまた貴重なのである。場合によってはこの「結い」の精神なくしては、生活が立ち行かなくなる場合すらあるのである。

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富山県の五箇山相倉集落と共に世界遺産に登録されて以来、今や世界的に有名な集落になった「白川郷」にもこの「結い」の精神が昔から受け継がれ、大切に守られてきている。

白川郷は、岐阜県北部の山間部、白川村と荘川村にある合掌造りの家々が立ち並ぶ集落だ。今でこそ世界中から観光客が集まる有名な場所になったが、つい数十年前まで、ここは秘境と呼ぶにふさわしい山奥の静かな集落だった。雪深いこの地では、冬の大雪から家を守るために、その構造に独自の工夫が重ねられ、傾斜約60度と屋根を急勾配にして雪が落ちやすいようにし、かつ雪の重量にも耐えられるように頑丈な梁と柱に手を合わせ拝むような形で屋根をつけ、分厚い茅で屋根を葺くという独特の形状が生まれた。屋根が雪の重みでしなるので、釘やホゾなどを使用せず、木や草の蔓で出来た縄で縛り柱や梁を固定していく。一階は居住スペースで、屋根裏部屋は養蚕の作業スペースとなる・・・これがいわゆる合掌造りと言われるもので、明治維新後の激動の時代を生き抜き、現在までその美しくも歴史ある姿を幾つもの家々がとどめている様は、なんでも使い捨ての現代においては、ある種の奇跡ともいえる光景なのである。

とはいえ合掌集落をその著書で初めて海外に紹介したブルーノ・タウトが昭和初期にこの地を訪れた際には300棟もの合掌造りの家々が立ち並んでいたといい、この世界的建築家をして、「極めて論理的で合理的な建築。大自然との融合はスイスの幻想か」とまで言わしめているのだが、極めて残念なことに現在、白川郷には110あまりの合掌造りの家屋が存在するのみで、残る大半は解体されたり、ダム湖の底に沈んでしまった。昭和初期といえば、都市部でさえそれほど高い建物がなかった時代、山間部に突然現れた高さ4~5階のビルにも匹敵する合掌造りの300棟もの集落はさぞ圧巻だったであろう。

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岐阜・白川郷
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合掌造り・萱葺き屋根の葺き替え

石とは違い、茅はその性質上一度屋根を葺いたら永遠に、というわけにはいかず、数十年に一度葺き替えなくてはならない。白川郷でも30~40年に一度この屋根の葺き替えが行われるのだが、この、時に二日以上もかかるという大掛かりな作業をする上で、前述の「結」という精神が生きてくるのである。その家屋に住んでいる住人だけではとても成し遂げられないこの「葺き替え」の作業を村人総出で行うのである。あるものは、茅を刈り取り、あるものはそれを束ね、あるものは屋根に上り、あるものは全体の流れを指揮する。食事の支度をしたり、お茶を用意したり。大人も子供も女も男も、皆の力を合わせて行っていく。そうして、ようやく茅の葺き替えがなされるのである。標準的な大きさの合掌集落の屋根片面の茅を葺き替えるだけで、人数にして一日あたり100人~200人、人件費やその他の費用を現金に換算すると数百万円以上にものぼる作業だという。それらは無償で行われ、次には誰かのために無償で同じように働くのである。白川郷の集落の美しさ、素晴らしさは、建物そのものや田園風景もさることながら、このような相互扶助の精神、人々の助け合いの心にこそ現れているのだ。今の私達が日頃忘れがちなこの利他主義。それは決して人様のために自分が損をする、犠牲になる、ということではない。誰かのためにする行いは、やがていつか自分に戻ってくる。「情けは人のためならず」・・・まさにその精神が脈々と生きているのが白川郷合掌集落なのである。

   

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合掌造りの家屋の内部

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和田家

白川郷の集落内の合掌造りの家屋の中でもひときわ目を引くのがこの和田家。現在も住居として使われているが、一般公開もしている。和田家はかつて庄屋として村を治め、養蚕も行っていた。塩硝の取引で繁栄したという。江戸時代末期の建築といわれ、最盛期には20人以上も人が住んでいたという立派な家屋。

和田家の詳細ページへ

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白川郷集落、五箇山相倉集落とも現在も日常的に生活が営まれています。家屋は勿論の事、敷地内や田畑などに無断で立ち入ったりせず、集落の人々の生活を尊重するのを忘れずに。

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