鶏飯

鶏飯

奄美名物

奄美大島の代表的な郷土料理「鶏飯(けいはん)」は、具材と鶏のスープをご飯にかけていただく、いわばお茶漬けのような食べ物。江戸時代、奄美諸島が薩摩藩の支配下にあった頃、薩摩からやってきた役人をもてなす為に考案された贅沢な料理がその始まりという。その当時のものは、今のものよりも炊き込みご飯に近いスタイルだったようで、一般庶民は口にすることのできないような料理だったとか。

今のようなスタイルの鶏飯は、戦後になって考案されたもの。「鶏飯」の老舗、元祖として知られる「みなとや」の初代・岩城キネが、昭和21年に前身である旅館「みなとや」を開業するにあたって、ふるさとの料理を研究し、鶏の炊き込みご飯にアレンジを加えて考案したという。それがご飯にトッピングをしてスープをかけて頂くという現在の鶏飯のスタイルだ。

その鶏飯の人気、知名度が不動のものとなったきっかけが、昭和43年4月の現在の天皇皇后両陛下(当時は皇太子殿下・妃殿下)の奄美大島ご訪問。その際に、奄美を代表する食事として、鶏飯が提供され、そのおいしさにおかわりをされたという。そのエピソードが広まり、「鶏飯」は、いつしか奄美を代表する料理の一つとなったのだ。

鶏飯を頂こう

鶏飯を頂きに訪れたのは、奄美大島の北側、赤木名港に面した笠利町にある「みなとや」さん。爽やかな天気の穏やかな日で、午後少し遅い時間のためか、のんびりと落ち着いた店内には、ほっとするような柔らかな雰囲気に満ちていた。

注文して待つことしばし、どっしりとした鉄なべに入ったスープ、おひつに入ったご飯、茶碗やしゃもじ、そしてトッピングや薬味がのったお皿が次々に運ばれてきた。

鶏飯

まずは茶碗にご飯を盛る。そして、茶碗に盛ったご飯に、色とりどりのトッピングをのせていく。ほぐした鶏肉、味付けされた椎茸、色鮮やかな錦糸卵、刻みネギ、陳皮、刻んだお漬物(たくあんやパパイアのお漬物)、ゴマ。これらをそれぞれ適量取りながら、思い思いに茶碗のご飯の上にのせていくのだ。この作業がまた楽しい。期待はぐんぐん高まっていく。そしてそこへ、丸鶏をことことと数時間煮込んで取ったというスープを注ぐ。このスープが何とも言えず美しい。それをさっと茶碗に注ぐのだ。ふわりと崩れるご飯とトッピング。こちらの顔もふわっと崩れ、知らず知らず笑顔になる。最後に海苔をちょんとのせて出来上がりだ。

さあ、早速頂こう。茶碗に顔を近づけると、まず鶏の上品でおいしそうな香りが立ち上がって鼻に抜けていく。しなっとなった海苔。錦糸卵の黄色とネギの緑のコントラスト。きらきらと光る鶏の脂。見ているだけで、涎が出てくる幸せの図。茶碗に口をつけ、ご飯やスープやトッピングのまじりあった一帯を、さらさらっと口の中へ流し込む。「!」声にならない感嘆が漏れる。じんわりふんわりうまみが全身へ広がっていく。丸鶏の旨味がこれでもかというくらい浸みだした金色に輝くスープが体の中に浸みていく。なんという上品で優しい味わい。滋味あふれるとはまさにこのことだ。鶏の旨味を、鶏の栄養を、「頂く」。様々な人の手間と思いを「頂く」。鶏を育て、鶏肉を生産した人々、お米や、トッピングや薬味のそれぞれ具材たちを栽培、生産した人々、そしてこの鶏飯のスープを取り、肉をほぐし、トッピングや薬味を刻み、皿に盛り、運んできてくれた、すべての人々の手間と愛情がこれでもかと込められているような、そんな味わいなのだ。

鶏のスープは、新鮮な丸鶏をじっくり煮込んで、塩と醤油で味付けをするだけという。でもそこにはまめにあくを取り、火加減を調整し、絶妙な配合で塩と醤油を加えるという、手間暇と繊細さがある。聞くと、鶏一羽で5人分ほどのスープしか取れないのだという。早朝から仕込みをはじめ、透き通ったスープにするために余分なあくや脂をまめにとり、ことことと煮込む。そして、その日のスープがなくなったら、その日の営業はおしまいという、先代から続くシンプルで大事な決まりごとがあるのだという。

鶏飯

どっしりとした鉄鍋に入れて供されるスープ。

スープを取った鶏の肉は、ほぐしてトッピングに使われる。それもスタッフ総出で取り掛かるのだという。温かいうちに裂かないとかたくなってしまうので、スープからあげたら少し冷ましてから、手で裂いていく。ここにも手間暇がある。

材料も作り方もシンプルで簡単そうに見える「鶏飯」。でもそこにはおしげもなくかけられる労力があり、思いがある。新鮮な材料で、シンプルに丁寧に手間暇かけて作り上げたものが、美味しくないわけがないのだ。そうそう、ここ「みなとや」さんではご飯のおかわりも出来る。どんなに美味しくっても、量がほんのちょっとじゃ寂しい、というそんなあなたにも安心な「鶏飯」なのだ。

鶏飯
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