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熊野古道

熊野古道 紀伊山地の霊場と参詣道

広大慈悲の道なれば紀路も伊勢路も遠からず

てんぎゃん(天狗)に育てられたと実しやかにいわれた南方熊楠は、紀州の生まれ。希代の天才奇才が既存の概念既成の枠組みに囚われることなく、後世に残る研究をし発見をしたのも、この自然豊かな環境で育ったからだといわれている。そんな天狗という存在さえもまんざら嘘とは思えない程、現在においてもなお緑濃く山深いこの地に熊野三山はある。熊野本宮大社熊野那智大社、そして熊野速玉大社だ。この東紀州の神聖な空気漂う地にある三社は、古くより皇族貴族から庶民まで様々な人々に篤く信仰され、そして参詣されてきた。京都、大阪、伊勢、高野、さらに吉野といった地から、その熊野三社に詣でる為の路こそが「熊野古道」だ。2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」と共に、世界で二つしかない「道」としての世界遺産にも指定されたのは広く知られる所だろう。

  

熊野古道
熊野古道

熊野古道は主なルートで6つ存在する。吉野から前鬼を経て熊野に至る大峯奥駈道(約140km)をはじめ、大阪方面から紀伊に至る紀伊路(紀路とも)、高野山からのルートである小辺路(約70km)、紀伊田辺から熊野へのルート中辺路(なかへち)、紀伊田辺から海岸沿いに串本を経由して熊野那智に至る大辺路(約120km)、そして伊勢から熊野に至る伊勢路(約160km)である。このうち紀伊路の一部を除く5つが世界遺産に登録されている。

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中辺路(なかへち)

元々山岳信仰、修験道であった熊野三山詣が盛んになったのは10~11世紀頃の事といわれている。1090年に白川上皇が熊野行幸をしたのを皮切りに、皇族貴族がこぞって熊野詣をするようになった。中でも後白河上皇は33度にわたる熊野行幸を行ったといわれている。その後、太平の世、江戸時代に入り、伊勢参りが盛んになると、熊野詣をする人々も増えていった。盛期には参詣人の行列を蟻に例えて、「蟻の熊野参り」とまで言われるほど多くの人々が熊野に詣でたという。皇族貴族から、武士、庶民、そして病を患っている人々。全ての人々を遍く受け入れる熊野三山は、救いを求め、願いを抱き、この世の奇跡と極楽往生を頼みとする人々のまさに聖地であったのである。とはいえ、紀伊路~中辺路のルートを使っても京から300キロあまりの道のり。行程にして往復1ヶ月の長旅は誰にでも手軽に出来るものではなく、限られた人達の参詣行であった。

明治維新を迎え、廃仏毀釈により紀伊半島の多くの神社も廃絶になり、また明治39年に公布された神社合祀令によって次々と神社の領地や数が減少する中で、熊野詣も次第に廃れていった。さらに、紀伊半島は山の多い地形ゆえに、新しく道を作るための土地が取り難いことも多く、熊野古道の一部は拡張され国道などに転用されてしまう。

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現在では、伊勢路、紀伊路など、多くの部分において拡張舗装等の整備がなされ、その様相を大きく変えてしまった。とはいえ、山の中を抜けていく険しい道が多いのも熊野古道の特徴。開発の手を逃れ、往時の姿をとどめている箇所も少なくない。人々はその美しさと刻まれた時の流れの重要性、古道の持つ歴史の重みに徐々に気付き始め、2000年になってようやく国の史跡に、2004年には世界遺産に指定されたのである。

  

さて、前述のように多くのルートと長大な距離を持つ熊野古道だが、ここでは熊野古道の雰囲気を手軽に味わうことが出来ると人気の中辺路「発心門王子」から熊野本宮大社に至るルートをご紹介しよう。全長約7キロ、所々急な箇所もあるが全体的に山道の初心者でも歩きやすい行程2時間ほどの手軽なルートである。

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発心門王子~熊野本宮大社

このルートは発心門王子と呼ばれる箇所から始まる。発心門王子までは本宮大社から出ているバスを利用すると便利だ。「発心門王子」とは、熊野古道沿いに並ぶ神社の旧蹟で参詣人の道中の安全を祈願するために設けられた九十九の王子の一つで、その中でも格式高いといわれる「五体王子」の一つに数えられる。「発心」というその字が示すとおり、「菩提心を発する」という意味を持ち、古来より参詣人はここで気を新たにし三山までの道のりを進んでいったという。熊野本宮大社の聖域への入り口といわれるだけあって、バスを降りた瞬間に感じる清浄な空気があたりには満ちている。

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発心門王子から少し歩くと道はゆるやかな舗装路になり、長閑な風景の中、水呑王子まで集落を縫いながらゆっくりと歩く道が続く。この道を通った幾千、幾万の人々に思いを馳せながら、とことこと歩いていくのも楽しい。

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道すがら、無人の「お店」に立ち寄るのも古道歩きの醍醐味。写真の干し芋を始め、果物、乾物、野菜から工芸品に至るまで、見ているだけでも元気になるような品々がそこかしこに並べられている。

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からくり案山子。しし脅しの複雑+ユーモラス版とでも言おうか。滑車を経由して案山子に結び付けられた紐が、水が溜まることによって重たくなったバケツが下がることによって引っ張られて、案山子が音を出しながら動くという仕組み。

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静かなる里山の風景。時の流れる早さと歩く速度が一致するふとした瞬間。

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水呑王子を過ぎるといよいよ山道らしい道に入ってゆく。そんな道が15分から20分ほどだろうか。伏拝の集落へと続く。

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伏拝は熊野古道の「伝馬所」があった里として栄えた場所という。

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かつて、長い長い道のりを歩き通しようやくここまで辿りついた参詣の人々が、初めて目にする熊野本宮大社(大斎原)一望の元、そのあまりの神々しさと有り難さに、伏して拝んだことからその名がつけられたという伏拝王子(ふしおがみおうじ)。発心門王子からの僅か二時間ばかりの行程でさえ、突如目に飛び込んでくる、連なる山並みの美しさと太陽を浴びて光り輝く大鳥居の姿に感動を覚える。ましてや、数十キロを何日もかけて歩き通して辿りついた昔の熊野詣の人々の感動と喜びはひとしおだったに違いない。

     

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伏拝王子を過ぎると後はゆるやかな自然道が続く。三軒茶屋跡、関所跡を通り、さらに山道を下ると本宮神社手前の祓戸王子に出る。そこから三分ほどで熊野本宮大社だ。

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