不忍池と東京スカイツリー
あの日の夜、都心で働く多くの人がそうであったように、仕事場から家にむかってただ黙々と歩いていた。
普段は都内にいることが多いのにもかかわらず、あの日に限って横浜で仕事をしており、桜木町で帰宅手段を失ったため、上野のそばにある自宅まで歩くしかなかった。距離にして約40キロ弱。時速4キロとして10時間歩けばよいのだから、なんとかなる。間の悪いことに、iphoneの充電を忘れて朝家を出たため、早々に電源は落ちてしまったが、それもさして問題ではなかった。ニュースを見る手段もなく事の重大さを理解していなかったこともあり、深刻さもあまりなかったが、それでも街や人がいつもとあまりに違う様相であり、ただ事ではない雰囲気がそこかしこに漂っているのを感じていた。
皆、押し黙って歩いている。少し肩をすぼめ、コートの襟を立てて、黙々と歩いている。一度、あまりの渋滞にしびれを切らした若者が、クラクションを長押しして、周囲の人々の顰蹙を買った以外は、町は不思議と無音だった。いや、実際には、色々な音がしていたのかもしれないが、記憶の中のあの夜に音はない。
早々に気が付いたのは、思っていたよりも大変だということだった。最初に高を括ったものの、目指す東京は遠かった。実際の距離というよりも、歩道が人でごった返し、思うように歩けなかったのだ。わき道を行こうにも土地勘がないので迷う可能性が大きく、結局人の波に埋もれながら、国道をひたすら歩き続けた。
途中幾度かの休憩をはさみ、どうにかこうにか、ようやく上野の不忍池のほとりにたどりついた頃には、空も明るくなり始めていた。
疲れ切った足を休めるように、ぼんやりとベンチに座っていると、明るくなった東の空の向こうから、太陽が昇ってきた。建設途中のスカイツリーが、弁天堂が、並ぶ木々が、次第に明瞭さを増し、黄金色に輝く空を背景にくっきりと浮かび上がる。細かにふるえる線の美しさ、揺れるシルエットの優雅さ。あまりの光景にただ息をのんだ。
なんという景色だろう。なんという色味だろう。歩き続けた時間が遠い過去のようだった。地鳴りのようなうねりや、空気をつんざくような衝撃や、混沌や暗闇が、煙のように消え失せた。
それは、10時間以上に渡って続いた非現実的な時間の果てにあった、嘘のような静寂だった。そして同時に、その日から毎日伝えられることとなる過酷な現実の前触れでもあった。
あれから今日で丸4年。
15,889人の方が亡くなり、今なお2,594人の方が行方不明という。一刻も早く、見つかってほしいと切に願う。
被災された方々の苦しみ悲しみが少しでも和らぎ、穏やかで平和な日が、一日も早く訪れますように。