鯉のぼり
公開日: 2011年5月1日 | 最終更新日 2014年7月22日
鯉のぼりのある風景
風にはためく吹流し。軽やかにまわる矢車。そして大空を悠々と泳ぐこいのぼり。ビルの立ち並ぶ都会ではお目にかかる事も随分と少なくなったが、空の広い場所に行けばまだまだ見かける事も多い、春から梅雨入り前後にかけての風物詩だ。車や列車の窓から、ひらひらと気持ち良さそうに空を泳ぐ鯉のぼりを見て季節を感じ、そして日本を感じる方も多いだろう。「五月といえば?」と、問われて「ゴールデンウィーク」と共にその名を挙げる人も多い「鯉のぼり」。この伝統的風習の由来と、鯉のぼりが優雅に泳ぐ日本各地の風景を見てみよう。
鯉のぼり(鯉幟)の由来
清流のみならず、池や沼にも棲息する鯉は、古来よりその生命力の強さが知られてきた。多少水が汚れていても適応する能力を持ち、水からあげても暫らく生きることが出来る。繁殖力も強く、寿命も長い。平均20年以上、70年生きることもある。現代においても、日常的に、例えば城のお堀や護岸工事された都会の川、公園の池などで、仮に少しばかり水が濁っていても気にしないでゆったりと、時にふてぶてしくさえも見える大らかさで泳ぐその姿を目にする事も多い。
そんな強靭な生命力を持ち、さらには急流を登ることも出来るという逞しさは、中国の故事に「黄河にある竜門という激流の滝を唯一上ることが出来た鯉は、その後空に上って竜となった」と記され、鯉の滝登りが立身出世の象徴とされた。この故事は「登竜門」の言葉の由来でもあるという。
一方、平安時代以来、戦いにおいて馬や陣地に掲げて、勝利を祈願し敵にその勢力を誇示し、また敵味方の識別の目印にもなった「流れ旗」から派生した「のぼり(幟)」は、戦の世が終わり太平の世が来ると、武者のぼり(節句幟)に形を変え、武家の安泰を願い、子供らの長久を祈る象徴として、端午の節句の際に掲げられるようになった。
この武者のぼりには牛若丸と弁慶、日本武尊、賤ヶ嶽七本槍、七福神、加藤清正、富士の巻き狩り、川中島合戦など力強い図柄や縁起の良い図柄が好まれたが、上述の中国の故事にちなみ、立身出世の象徴として鯉が滝を登る様子もよく描かれたという。これが現代の鯉のぼりの原型と考えられるものだ。時代が経るにつれ、のぼりに描かれていたものが、より鯉の形に似た吹流しとなり、江戸中期~後期頃には現代のものに近い、鯉の形をした「鯉のぼり」になったというわけ。吹流しの形をしているのに、「のぼり」と呼ぶのはこのような理由だ。
最初は和紙で作られていた鯉のぼりも、やがて油紙や綿のように丈夫な素材となり、昭和30年頃には合成繊維の鯉のぼりが流通するようになった。現在ではナイロンやポリエステルのものが主流だ。
真鯉と緋鯉~江戸時代の鯉のぼりと現代の鯉のぼり
鯉のぼりが現在の様なカラフルなものになったのは戦後の事。今では、黒、赤を始め、青、緑、オレンジ、紫色など色とりどりのカラフルな鯉のぼりが見られるが、戦前は鯉のぼりといえば黒と赤のものが殆どであった。そもそも日本で錦鯉の飼育が始まったのは19世紀の新潟県旧山古志村といわれており、江戸時代には緋鯉を始めとする色のある鯉はそれほど一般的ではなかったため、江戸時代の鯉のぼりも色の黒い真鯉の鯉のぼりが主であった。歌川広重が1856年(安政3年)2月から1858年(安政5年)10月にかけて制作した「名所江戸百景」にも黒い鯉のぼりのみが描かれている。
歌川広重作「名所江戸百景」の一枚、「水道橋駿河台」
江戸期の武家の端午の節句を髣髴とさせる武者絵幟(武者幟・節句幟・五月幟・武者絵五月幟・絵幟)。現在でも福島や栃木、山梨、長野、愛知、山陽、山陰、四国、九州などでは鯉のぼりと共に(もしくは単体で)この武者幟を飾る事も多い。優雅な鯉のぼりとはまた違った、力強く勇壮な雰囲気を醸す。また高知ではフラフと呼ばれる大漁旗に似たカラフルで豪気な旗を鯉のぼりと共に掲げる家も多い。
外飾りの鯉のぼりに対して、家の中に飾られる鎧兜(写真左)。男子の身体守護の願いが込められる。写真右は兜人形を模したつるしびな。
鯉のぼりを飾る時期
鯉のぼりを飾る時期に地域差があるというのをご存知だろうか。端午の節句、5月5日の子供の日と切り離せない鯉のぼり。端午とは五節句(人日(じんじつ)・・・1月7日(七草)/ 上巳(じょうし/じょうみ)・・・3月3日(桃の節句、雛祭り)/ 端午(たんご)・・・5月5日(菖蒲の節句)/ 七夕(しちせき/たなばた)・・・7月7日(たなばた、星祭、竹・笹)/ 重陽(ちょうよう)・・・9月9日(菊の節句))の一つで、元来は旧暦の午の月の午の日に祝われていたものだ。
しかし、日本の暦が明治5年12月に、天保暦と呼ばれる旧暦(太陰暦)から新暦(太陽暦)に変わると共に、端午の節句もいつしか新暦の5月5日に祝う地域が多くなる。必然的に鯉のぼりも新暦の5月5日にあわせて揚げられるようになったのだ。
ところで、旧暦から新暦に変わった後も、季節に関連する行事などは地域に寄り、旧暦で行われる事も少なくなかった。例えば、お盆。現在も、旧暦でする地域と新暦でする地域があるのはご存知だろう。同様に鯉のぼりを飾る地域にも地域差が生じた。新暦の5月5日「こどもの日」にあわせて飾る地域と、昔ながらの旧暦五月(現在の6月)五日頃まで飾る地域。おおまかに大きく分けると関東地方は春分の日頃から5月5日までと新暦に合わせて、関西地方は雛祭りが終わる4月3日頃から6月5日まで飾る地域が多いという。
日本各地の鯉のぼりのある風景
今は無き余部鉄橋と鯉のぼり。橋は現在コンクリート製のものに架け替えられている。(兵庫県美方郡香美町)