旧福浦灯台

旧福浦灯台

日本最古の木造灯台

小型の車がようやく通れる曲がり角を抜けたその先に、目印にと教えられた小さな社が建っていた。
社の前には車数台分の駐車スペースがある。その一角に車を止めて外に出た。空模様は最悪だ。
ごおごおと音を響かせながら乱暴に風は吹き、石つぶての様な霰が顔を殴りつける。
灰色の空を映しこんだ海はどんより暗い色をして、波が逆巻き、海面は白く泡立っている。
その様相はまさに冬の日本海。どんなオプティミストも、今この瞬間の海を眺めたら感情諸共波間にさらわれてしまうのではないだろうかと思うほどに陰鬱とした風景。でも、それは何故か不思議と美しい。透明と狂騒が鬱勃とせめぎ合っている。
世界から、優しさと穏やかさと中途半端な感傷を取り除き、荒々しさと力強さと暗さと抗いようのない「現実」のみを詰め込んで出来上がったようなそんな光景だ。

ある程度穏やかな状態が大前提とはいえ、時にこんな顔を見せる可能性のある海に出て行く船乗りや漁師を心から尊敬してしまう。
テクノロジーの発達した現在でも想像するだけで身震いしてしまう。ましてや、機械に頼らず、船の剛性も今とは比較にならなかった時代にはどんな心持ちであったろう。

社の左脇にある細い道を進んでいく。道は右に曲がり左に折れしながら続いている。
吹き抜ける風は木々を揺らし、草を倒す。
風はいよいよ激しさを増し、雲は飛ぶように流れてゆく。右手下に垣間見える海はますます猛り狂う。
防波堤に大波が衝突し、砕け散って白い飛沫となって宙を舞う。
頑強そうなテトラポッドと堤防をやすやすと越えた水は、ざんざと手前側に流れ落ちる。
黒々と濡れたそのコンクリートの塊は、茫漠とした不安を現出しているかのようだ。

あまりの風霰の激しさに時々顔を風下に向けながら、一本道を進んでいく。
肩をすくませながら暫らく進むと、突然前方にそれは姿を現した。
その瞬間、不思議と心に微かな明るさが生まれ、光が灯る。
荒々しい海をバックにすっくと建つ白い良心。
百葉箱にスカートを履かせ、瓦の屋根を乗せたような可愛らしい姿をしたその建物こそ、現存する日本最古の木造灯台といわれる「旧福浦灯台」だ。

かつて福良津と呼ばれたここ福浦港は、古くから日本海側有数の良港として知られた所で、
江戸元禄期以降には北前船を始めとした諸国の船が出入りして賑わった。
良港といわれても、冬のこの天候では俄かに信じがたいが、地形を見ると確かに良い形の入り江になっているのがわかる。
天候のよいときならば、さぞや素晴らしい天然の良港である事だろう。
とはいえ、荒々しい時はこんな顔を見せる日本海。やはり、昔は海難事故も少なからずあったに違いない。

そんな中、この地に建てられたのがこの「旧福浦灯台」だ。
地元住民であった日野長兵衛が、暗夜を航海する船の安全を護るために夜を通してかがり火を焚いたのがその始まりという。
元禄年間には今の位置に灯明堂が建てられ、日野家が代々灯明役として護ってきた。
現在の灯台は明治9年に日野家の17代目吉三郎が建てたもの。先代の灯明堂を模して建てられたものという。桟瓦屋根、木造で内部は三層に分かれている。
高さ5メートルほどで灯台としては小ぶりだが、1952年(昭和27年)に新灯台が建てられるまでの76年間、沖合いを通る船の安全を護り続けてきたのである。

風が吹き、霰が舞い、体温が奪われると共に希望さえも奪われていくのではないかと錯覚するほどに激しい天候の中でも、しっかりと建つ旧福浦灯台。
かつては多くの船乗りの希望の光となり、命の綱となっていたことだろう。
今はその役目を終え、存在のみがひっそりとそこにあるだけだが、長い歴史をその身にまとい、今日も海を見つめ続けている。

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創建は1608年(慶長13年)と伝えられる現存する日本最古の木造灯台。石川県指定史跡。

旧福浦灯台

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