宇和島城天守の内部

宇和島城

群雄割拠の戦国時代、陣取り合戦、国盗り合戦の拠点、シンボル的存在であった「城」は、戦の際に敵方の手により、または戦略的に味方の手によって燃やされてしまうことも度々あった。また、江戸時代に入って以降、太平の世になっても、失火や雷などによる火事などで、天守や櫓が焼失したり、崩壊してしまうこともあった。国替などにより城主が変わった際には、幕府監視の下、改修・整備が行われ、城主ごと、時代ごとにその姿を変えていった城も数多くある。そういう意味では、お城が中心であった世は終わってしまったとはいえ、昭和に入ってから鉄筋コンクリートで再建された大阪城(復興天守)や、戦後に再建された名古屋城(再建天守)なども、一部の人にはコンクリートやエレベーターが無粋だなんだといわれても、考えようによっては、単に時代の変遷によってその姿を変えた(進化した)城なのだと言っていいのかもしれない。

そんな中、比較的、築城当時や戦国~江戸時代当時のままの姿を今に残している数少ない城が、現存天守といわれる城だ。世界遺産である姫路城を始め、国宝の松本城、犬山城、松江城、彦根城など全国に12ある。

そのうちの一つ宇和島城は、愛媛県宇和島市の宇和島湾にほど近い標高約74メートルの小高い丘の上に築かれた城。築城の名手といわれた藤堂高虎により、1601年(慶長6年)に築城された城で、高虎が今治に移封となった後、1614年(慶長19年)に伊達政宗の長子・秀宗が10万石で入封、1662年(寛文2年)、2代藩主・宗利の時に、天守をはじめ城郭の大改修が行われた。工事は1671年(寛文11年)に竣工、その後の台風等の災害や幕末から明治維新にかけての混乱期、空襲などを乗り越え、現在もその姿を残しているのだ。

千鳥破風を配した優美な入母屋造白壁塗りの3層3階の天守の外観の美しさもさることながら、その内部に入ると床や柱などの木目の美しさもそのままに、340年以上の歳月を経てもなお、当時の人々の息遣いが聞こえてくるような、情緒ある美しさに溢れている。

撮影場所

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