鳥越神社の鳥越まつり 江戸情緒あふれる崇高で美しい祭り
公開日: 2023年6月14日 | 最終更新日 2023年6月15日
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江戸から続く鳥越まつり
2023年6月9日〜11日にかけて鳥越祭りが行われました。鳥越神社のお祭りは「千貫神輿」と呼ばれる重くて大きくかつ絢爛豪華な本社神輿と、数々の町内神輿、そして日本一美しいと賞賛する人もいる、幽玄で雰囲気のある宮入りで知られる祭り。
東京下町の祭り好き、神輿好きの中には、「下谷、神田に始まり、三社と盛り上がって、この鳥越で燃え尽きて、また次回を首を長くして待つ。まさにトリを飾る祭り」という人もいる鳥越の祭り。コロナ禍での中断・縮小開催を経て、本社神輿渡御も含めた通常通りの開催は4年ぶりのことで、いつもに増して盛り上がりを見せた鳥越祭りの模様をお届けします。
鳥越神社とは?
東京都台東区鳥越(とりごえ)の蔵前橋通りに面して鎮座する「鳥越神社」(とりこえじんじゃ)は、古くから地域の人々に親しまれている神社。伝えられるところによれば、651年に日本武尊(ヤマトタケル)を祀って白鳥神社と称されるようになりました。その後、1051年から1062年にかけての戦い「前九年の役」の際、源義家が付近を通りかかり大川(隅田川)を渡ろうとしましたが渡れずに足止めされていたところ、白い鳥が飛んだのを見て浅瀬があることを知り、無事渡れたという出来事があり、これを白鳥明神の加護によるものとして感謝し、それ以降神社は「鳥越大明神」と呼ばれるようになったといいます。
鳥越神社は地域の人々にとって特別な存在の神社であり、日常的に人々が参拝し、大切に守られてきた神社ですが、この鳥越神社で毎年6月に行われるのが、「鳥越まつり」とも呼ばれる例大祭。
一足先に行われる近隣の祭り、三社祭りなどと同様、町内神輿が各地域を渡御し、それに続いて本社神輿が各町会毎(地区毎)にバトンタッチされながら街の中を練り歩くのですが、この本社神輿が戦前より都内最大級の神輿として知られる巨大で壮麗な神輿なのです。
かつて一般的に用いられていた長さや重さの基準「尺貫法」における質量の単位に「貫」という単位があり、1貫は現在の重さで3.75 kgに相当するのですが、この鳥越神社の神輿は「千貫神輿」と称される大きくて重い神輿です。「千貫」とは実際に重さが「3750キログラム」あるということではなく、比喩的に「大きくて重いもの」を表す意味で用いられる言葉で、他の地域にも大きな神輿として「千貫神輿」と呼ばれる神輿はあるのですが、都内で「千貫神輿」といえばまず鳥越神社の本社神輿を想起する人が多いといっても過言ではないほど、大きくて重い神輿として昔から知られています。
鳥越神社の神輿の重さは?
では実際に鳥越神社の本社神輿の重さはどれくらいあるのかというと、実はお神輿は大きさはある程度正確にわかりますが、重さはわからないようになっています。浅草の三社神輿のデータが重さも含めて公表されているなど例外もありますが、公の数字としてはいずれの神輿も重さは計量されることはないのだとか。
神様の乗られる神聖なものだから重さを計るということはしないのかもしれません。それゆえ神輿の大きさは台輪とよばれる神輿の下の部分の大きさで語られる場合が多く、鳥越神社の本社神輿の大きさは、台輪幅4尺3寸(約1.29メートル)とされています。多くのメディアやサイトなどでは鳥越神社の神輿が「千貫神輿」とよばれていることから、鳥越神社の神輿の重さも「千貫」=「4トン弱」と表現している場合が多いようですが、厳密にはその重さはわかってはいないということです。
ただ、鳥越神社の神輿は関東大震災で焼ける前の先代の神輿も「お化け神輿」と呼ばれる大きな神輿として知られており、震災後に作られた現在の二代目の神輿も胴が太くて、装飾も煌びやかで豪華絢爛、中もずんと詰まっているといい、相当の重量があることは間違いなさそうです。また、狭い路地が多い町中を行くために「担ぎ棒」とよばれる神輿を担ぐための棒が短めに作られており、必然的に一度に担ぐ担ぎ手の総数も少なくなってしまうために一人当たりにかかる重量も大きく、そいういう理由でも鳥越神社の神輿は「大きくて重い」神輿となるそう。実際に、色々な地域で神輿を担いだ経験のある神輿好きな人々に聞くと「やはり鳥越神社の本社神輿が一番重い」という人も多いそうです。
鳥越神社の神輿の美しさ
「お神輿」は、どこの神社の神輿も造り上げた職人さんの技と時間と気持ちがぎゅっと込められたものであり、氏子や地域の人々の想いが入った長年大切にされてきているもので、それらに優劣がないのはもちろん基本的に大きさの差こそあれ、どこのお神輿も美しいものです。
傷や劣化が少なく装飾品もキラキラしている比較的新しい神輿も当然綺麗ですし、滋賀の日吉大社の境内で見ることのできるような、歴史の詰まった年代物の神輿も年季はもちろん入っていますが渋くて華麗で美しいものです。
そんな中でも鳥越神社の本社神輿は、その大きさ重さだけではなく、その美しさでも知られています。実際に宮出し前や宮入り後の鳥越神社境内で間近で目にしたり、日曜日の渡御の際に何度もすぐそばで目にしましたが、それはそれは美しいものでした。地域の神輿によっては、時には荒っぽくなる渡御で傷がつかないように、または邪気を払うため等の理由で「さらし」を巻いて渡御するスタイルの地域もありますが、鳥越神社の本社神輿は、その華麗で細かな装飾の全てが目に入る状態で、宮出しから宮入まで、その巨大さと共に美しさも人々の目に焼き付くような形で渡御していくのです。
昼間の日の光がきらっと当たった瞬間、揺さぶられて軽やかな音を響かせながら舞っているような瞬間、火入れ後の柔らかくオレンジ色が映える瞬間、暗くなってからの町の光りや神社の明かりが反射してきらめく瞬間など、思わずどきっとするような美しい瞬間が幾つもあるのです。
鳥越神社の宮入の美しさ
宮入とは、本社神輿(宮神輿)が神社から出て(宮出し)、町中を練り歩き(渡御)、夕方から夜にかけて神社に帰ってくる時のことをいいます。文字通り、宮(神社)に入る時間です。3日間の予定が滞りなくすぎ、最後の大団円を迎える場面。担ぎ手や祭りの関係者はもちろん、観覧者も含めて人出も最も多くなり、一帯は様々な人々の感情が嵐のように渦巻きます。想いが迸り熱が放散し、興奮が最高潮に達する時です。そもそも「祭り」とは、神に感謝し、祝い、奉るための行事であると共に、特に明治時代以前は、様々な場面でお上や力のあるものに押さえつけられがちであった市井の人々の、一年に一度の発散の時、嫌なことも忘れ、うっぷんを吹き飛ばし、憂さを晴らす、というそんな意味合いも大きかったといいます。
江戸っ子は「火事と喧嘩は江戸の花」なんていわれたように、喧嘩っ早くて賑やかなことが大好き。当然、感情が昂っている祭りの時に喧嘩がおきないわけがありません。それは時代を超えて現代となっても同じこと。三社や神田に限らず、大きな祭りの際に喧嘩やいざこざを目にしないことはほとんどないでしょう。この鳥越神社のお祭りも同様に、神輿の渡御の際、とくに本社神輿の渡御の際には各所で大なり小なり小競り合いがおきます。それは担ぎ手の人々に聞けば、場所取りであったり乱入であったりに起因することが多いようですが、とにかく夕方になっても夜になってもいざこざは絶えず、時折救急車もやってくる始末。
鳥越まつり 本社神輿 宮入の時
その場に居合わせた幾千幾万の人々の想いが重なる瞬間
ところが、(これは長年の紆余曲折を経ての話し合いや警備体制などに寄る所もかなり大きいとは思いますが)、鳥越神社に本社神輿が近づくにつれ、小競り合いの喧噪は小さくなり、厳粛な空気があたりを支配し始めるのです。単に「厳粛」というよりも江戸時代を思わせる粋な雰囲気を併せ持った荘厳とでもいえるでしょうか、鳥肌が立つような、思わず涙が出てきそうになるほどの美しさに全身が打ち震えるのです。高張提灯の幻想的な光りが波のようにゆらりと揺れ、それに続いて巨大な神輿がスローモーションのようにうねりながら、神社に近づき、鳥居をくぐって境内に入っていきます。
そこにおいて全てのいざこざと感情のもつれはすうーっと消え去って、ひたすらに静粛に美しく、凛としていて清らかなのです。当然、あたりから音が消えてしまったわけでも、雑踏が霧散したわけでもありません。しかし、圧倒的ともいえる情緒溢れる美しさの前に、余計な言葉を発することもできず、身動き一つ出来ないような状態になるのです。不思議なことに、そこに集まっている人々(担ぎ手、担ぎたい人、ギャラリーも含め)の熱も、悟りの瞬間のように静かになるのです。それまで強制的に抑え込まれていた情動、力でバリケードで抑えられていた力も、その瞬間は誰が強制したわけでもなく、すっと抜けていく感じです。
それは時間にすれば僅かな間なのかもしれません。さしずめ映像であれば、ミュートをしてスロー再生しているようなものなのかもしれません。しかし、その僅かな時間の間に、心と身体の中に流れ込んでくる「美」の流量の、想像を超えたものすごさに、ただただ黙っているしかないのです。
今まで、幾つもの祭りを見、参加し、いく度もその美しさ、荘厳さ、華麗さ、瀟洒な雰囲気、勇壮で力強い躍動感に息をのみ、興奮し、感動してきましたが、これほどまでに江戸情緒溢れる落ち着いた美しさには出会ったことがないかもしれません。煌びやかで眩しいLEDの対極にある、控えめで穏やかで柔らかい提灯の明かり。その提灯の明かりが明滅しながら、揺れながら、鳥居の奥に吸い込まれていく瞬間。先ほどまで猛り荒れていた人たちでさえ、穏やかな顔で中空を見上げているような「間(ま)」。今までもそして今後も決して遭遇も融合することもないであろう、たまたまその場に居合わせた幾千幾万の人々の想いが、ほんのひと時だけでも重なったかのように感じる瞬間。
鳥越まつりの美しさの理由(わけ)
当然ながら、気楽に見に来ている私たち観覧者は別としても、その祭りの美しさを作り上げたものの一つ、一因は、そこに居合わせた神社の関係者、担ぎ手を含む祭りの関係者、そして警備関係者の、膨大な時間と労力、工夫と努力、我慢、忍耐、疲労、話し合いなどの賜物でもあると思います。
演劇でもコンサートでもそうですが、見ている(観ている)ほうは楽しみ、喜び、感動し、帰るだけですが、それを作り上げている人々の事前の努力、最中の労力、継続の尽力は甚大なものがあることでしょう。ましてや江戸時代から続いてきている歴史と由緒ある祭りを行うことの大変さ、継続し未来へと繋ぐ労苦。伝統を守ることの意義深さと苦労。仮に淡々と昔から行ってきていることを続けているだけだとしても、その淡々と続けることがいかに大変かは、淡々と続けてきた人にしか分からないこと。時代が変わり、環境も変わり、人も変わりゆく中で、その大変さは想像を絶する気がします。分かりやすいところでいえば、人口減少、跡継ぎ不足。マンションなどが増えることで、「町民」「氏子」として参加する人も年々減っていることでしょう。
そんな中、歴史と伝統を守り、ときには改革し、変化させつつも、継続していくことの素晴らしさ。その力。その仁義。不誠実なことが多いこの世の中で、その「粋」の素晴らしさ、美しさこそが、宮入の時に一帯を包み込んでいた美しさにほかならない気がするのです。奇を衒うことのない純粋なもの、もしくは優しさと力と穏やかさと激情が入り混じって溶け合って静寂となったもの。
当然ですが、人はいつか死にます。どれほど偉い立場にある人も。どれほどの金持ちも。どれだけ恵まれていようが、波に乗っていようが、どうであろうが、必ず死んでいきます。ではそんな私たちは生きている間に何をすべきなのか。何をしていくのか。何が出来るのか。
一瞬の光りを放ちながら、すーっと消えていくように死んでいく蛍のように、長い歴史の奔流の中で蛍ほどの光りを放って死んでいくことができるのか。私たちは何を守り、何を継続していくべきなのか。新しい物の中にある綺麗さと脆弱さ、長い年月を経て醸し出される美しさ。鳥越神社の例大祭「鳥越まつり」、様々なことを感じさせられ、考えさせられる、壮絶で元気で荘厳で豪華で賑やかで勇壮で繊細で美しいお祭りでした。
鳥越まつりの風景 鳥越神社の例大祭の風景
鳥越祭りの期間中、そこかしこで遭遇した粋でいなせ、格好いい人たち