気比の松原
公開日: 2009年8月23日 | 最終更新日 2023年12月3日
気比の松原
日本三大松原の一つ
福井県敦賀市の敦賀半島の付け根の東側、海側から見ると敦賀湾の一番奥まった場所に位置するのが、静岡の「三保の松原」、佐賀の「虹の松原」と共に「日本三大松原」の一つに数えられている名勝「気比の松原(気比松原・氣比松原)」です。(読み方は「けひのまつばら」)。
広さは約34万平方メートルで、日本の松林は一般にクロマツが多く占める中、この「気比の松原」はアカマツが7割以上を占める国内でも貴重(※)といわれる松林で、約1.5キロメートルに渡ってアカマツとクロマツの林が続いており、その数は約17,000本にも及びます。どこまでも続く松林と白い砂浜、そして青い海と空は、まさに「白砂青松」と呼ぶにふさわしい絶景。1928年(昭和3年)の6月28日には国の名勝にも指定されています。
(※かつて、本州北部の沿岸にある松林はアカマツがその多くを占めていたとも伝えられます。全国の海岸で多くみられるクロマツは、その多くが江戸時代以降に植樹されたとも。)
「気比」の松原と、「気比の松原」を訪れた文人墨客・著名人
「気比の松原」の名でわかる通り、元々は「氣比神宮(気比神宮)」の社領でしたが、織田信長の越前攻めの際に没収となり、江戸時代には小浜藩の藩有林として、さらに時代を経て国有林となりました。
この「気比の松原」は古来より景勝地として知られる所で、歌川広重が日本全国の名所を描いた浮世絵の名所図会「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」にも「越前 敦賀 氣比ノ松原」として題材に取り上げられています。
松尾芭蕉もこの地を訪れていますが、中秋の名月を楽しみにしていたものの、あいにくの天候で月は見られなかったようで、その時に残した句が「名月や 北国日和 定なき」(中秋の名月を楽しみにしていたのに北国の天気は変わりやすい)と伝えられています。幕末から明治にかけての人物で無血開城の立役者・勝海舟も明治中頃にこの地を訪れ「會経駐輦處 黎首憶甘棠 松嶺如奏曲 海涛和洋々」という漢詩を残しています。また、明治から昭和にかけて活躍した俳人で小説家の高浜虚子は、この地を訪れて「松原の 続くかぎりの 秋の晴」と詠んでいます。
夏には海水浴場として地元の人はもちろん、京都や大阪などからも人がやってきて賑わいを見せますが、それ以外の季節は比較的静かで落ち着いている場合が多い印象。時折連れ違うジョギングの人や散策の人など、地元の人々の憩いの場として親しまれているようです。
気比の松原の風景
気比の松原
所在地: 福井県敦賀市松島町27
交通:北陸本線「敦賀駅」から徒歩45分。ぐるっと敦賀周遊バス「松原公園」下車。または北陸本線「敦賀駅」から松原線のコミュニティバス「気比の松原」徒歩5分