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二見興玉神社

二見興玉神社

「夫婦岩」縁結び・夫婦和合円満のシンボル

二見興玉神社
二見興玉神社

「何かに導かれる」という体験をしたことはあるだろうか。それは、たまさかの偶然に過ぎないのかもしれないとしても、やはり何かの力が働いたのではないか、と思わずそんな風に考えずにはいられない経験。この二見興玉神社にめぐり合ったのは、そうした導き、偶然の結果だった。

二見興玉神社

その日は和歌山県から三重県へと夜っぴいて走り、朝早くの伊勢神宮に行く予定であった。昼間は大変混むであろうから、早朝に足を運びたかったのだ。夜の道は当然空いていて、予定よりも早く伊勢市内に着いた。時、夜中の3時頃であったろうか。さすがに少々時間が早すぎる。伊勢神宮まではナビをセットしていたのだが、とりあえず指示を無視して海沿いに行こうと思い立った。小雨のそぼ降る夜だったが、もしかして朝日が見れるかもしれない、と淡い期待を抱いたのだ。

土地勘は全くなかったが、ナビの地図の縮尺を変え、なんとはなしに海が写っている方にむかって走り出した。正確な方位はわからなかったが、海岸線は東方向にあり、天気さえ回復すれば朝日がのぞめそうな気がした。

2、30分も走ったろうか。トンネルを抜けた所で海に出た。勿論海は真っ暗でほとんど何も見えないが、旅館やお土産物屋らしきが何軒か並び、水族館のようなものもある。車も停められそうだ。眠気がピークに達していたのもあって、朝日をここでみるかは別としても、とりあえず海のそばに出た安心感と共に小一時間でも仮眠をとることにした。正確な日の出の時間はわからないが、それよりも30分ほど早い時間にアラームをセットして眠りに入る。

     

二見興玉神社

「ピピピピ」アラーム音で目が覚める。強張った身体を伸ばし、外を見ると朝日はまだ昇ってはいないが、空がほんのり白み始め、世界は随分明るくなっていた。雨も止んでいた。車の外に出て、ストレッチをし首を回す。

その時だ。トンネルの右手側に神社らしきものがあるのに気がついたのは。

俄然興味が湧き出て、そちらの方に歩いていった。ほとんど車も通らず人も居ない。しののめの空気はひんやりと心地よく、眠気に支配された身体の奥に浸み込んでゆく。空と海と地面が清らかさに満ちている。心なしか、神社の入り口に近づくにつれ、その清らかさは増していく。更紗が頬を撫でていくような柔らかさ。

そしてこの時は、まだ全く知る由もなかった。この神社こそが、人々がお伊勢参り(伊勢神宮参拝)をする前に禊をし、身を清める場所であるということを。

二見興玉神社

二見興玉神社は、729年~749年頃に創建されたと言われる、猿田彦大神と宇迦御魂大神を祀る神社である。人々は「夫婦岩」と呼ばれる二つの岩を鳥居に見立てて、沖合い700メートルに鎮座する「興玉神石(おきたましんせき)」と呼ばれる猿田彦大神ゆかりの霊石を拝し、さらに夫婦岩の間からのぼる朝日を天照大神として拝んできた。晴れた日には遠く富士山も望めると言う。

そしてこの二見興玉神社は、前述のように、古来から伊勢神宮に参拝する際に、海の水に浸かり身体を清める、禊(みそぎ)(沐浴)をする場所なのである。現在では無垢鹽草(むくしおぐさ)=(海草アマモ)で身を清めるお祓いを受ける「浜参宮」が一般的だが、海の水に浸かり禊をする人々も少なくない。

二見興玉神社
二見興玉神社
二見興玉神社

    

二見興玉神社
二見興玉神社

境内のあちこちで蛙の像を見かける。蛙は猿田彦大神の道案内をしたとされ、古来より交通安全、善導の守護神として広く信仰されてきたという。「若返る」「無事帰る」などの祈願を請け、また、ご利益のあった人々が蛙の像を奉納するという。

二見興玉神社二見興玉神社
二見興玉神社二見興玉神社

実のところ、二見興玉神社のいわれ、伊勢神宮参拝の前に禊をする場所である、ということを知ったのは、二見興玉神社の後に、伊勢神宮に参拝し、それから数日後の日常生活に戻ってからのことだ。二見興玉神社では、その清浄な空気と、夫婦岩の存在感と、雲間をぬって姿を見せた太陽に圧倒され、きっと境内のどこかにあったであろう説明もきちんと読んではいなかった。帰ってからふと気になって、「二見興玉神社」について調べた時に初めて知ったのである。

それはただの偶然だったのかもしれないし、やはり「何か」の導きだったのかもしれない。いずれにせよ、事実を知った時には、(感動に近い意味で)驚いた。少々鳥肌が立ったといってもいい。そして思わず知れず、素直に「何かの流れのようなもの」があったのだろうなと感じた。「なるべくしてなったのだろう」という思いがわきあがった。物事をいかに捉えるかは、その人如何(いかん)だ。良く捉えるも悪く捉えるも、意味を見出すも見出さないも、結局はその人の主観一つである。その人次第である。しかし、時にどうにも説明がつかないことは興る。玉がきらりと光るように。観念を超えたところで世界が動いていると感ずる時がある。「流れ」とはなんなのだろう。「本流」とは一体なんなのだろうか。人は意志を持ち、意思に基づいて行動している。「これをしよう」「あれをしよう」日々の行動や言葉は、自分の意思の元にある。それでも時折、何か「大いなるもの」の意志の働きを感じる時はないだろうか。

それは「気付き」なのか。「気のせい」なのか。それとも、もっと別の何かに気がつく「きっかけ」なのか。

今日も世界中で日が昇る。新しい日はまた始まってゆく。

二見興玉神社

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Japan Web Magazine 編集部

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