十月 和歌山
満月の前の晩、橋杭岩はおだやかな海に静かに並んでいた。何かで固められてしまった各々意思を持った生命体が月夜の晩に一日だけその呪縛から逃れて動き出す、そのことを待ちわびているかのような独特の形状は、煌々と光る月に照らされて、影絵のような輪郭を夜の海に浮かび上がらせていた。
十一月千葉
見上げると、そこにはまるで「アスールとアズマール」の天井が開く美しいシーンさながら、まさに夢のような光景が広がっていた。左側に立つ灯台がまばゆい光の道を作り出しながら、右側にある電波塔と対をなして屹立している。その背景には散りばめたような星空がある。息を呑む光景。身体が星空に吸い込まれるような感じさえするほどに。犬吠崎の夜の風景の詳細を読む
八月静岡
普段あまり感じない事も山の中にいると感じる時がある。例えば天気が変わる前触れ。すっと気圧が下がったり、ひゅっと温度が変わったり。雲の流れも地上で見るよりも遙かにリアルだ。雲の動きを肌で感じられる。雲が身体を通り過ぎていく。肌を撫でていくのである。
一瞬燃え上がるような夕焼けを見せた後、みるみるうちに視界を覆っていった雲は、やがて雷鳴を発しはじめる。最初は遠くの方で小さくゴロゴロと。不気味な音を響かせながら、その頻度を増してゆく。時折雨もぱらついてきた。
気がつくと日没後の明るさと暗さの混じった光の層は消えてしまい、分厚い漆黒の夜の帳が下りる。音だけであった雷も稲光を雲間に煌めき渡らせながら次第に近づいてくる。
それは上から下へという見慣れた光景ではなかった。横から横へといったほうがいいような、水平方向に近い感じなのである。まさに雷雲同士で放電しあっているといった様相。周囲を覆っている雲が分厚いのであたり一面を照らし出すのではなく、暗闇の向こう、雲の中で何かが鋭く弾け飛んだように、一瞬明るくなるのである。炸裂しては消えていく、光の嘆きのような情動は衝撃を伴って水晶体の奥に飛び込んでくる。
人間は、そこにあってはちっぽけな存在でしかない。とても無力で微細なる存在。まさに吹けば飛んでしまう。あまりに圧倒的なパワーと激しさと美しさ。すぐ目の前に口をあけている絶命のブラックホールではなくとも、確実に命を飲み込んでしまう緩やかなる大波。一ミリたりとも抗うことの出来ない力が、美しさのベールを纏いながら、地表に姿を現した瞬間である。
十一月 京都
桜の時期と紅葉の時期の京都はいつもに増して賑やかだ。人ごみを我慢するか、美しさを諦めるか、という選択を迫られるほどに混雑している。しかし、それは同時にそれほどまでに美しい、ということでもある。夜も多くの社寺で特別拝観と称してライトアップをしている。そのいつもと違った装いの美しさを堪能するのもまた京都の魅力なのだ。
五月 鳥取
山道を夜中に車で走っていて、ふと何気なく右前方を見上げると、そこには清楚なお月様が居た。その光は明るくとも決して押し付けがましくはなく、穏やかでとても柔らかい光。まるで微笑みの女神のように、夜道を照らしている。路肩に車を止めて、ヘッドライトを消してみて初めて気がついたその明るさ。誰かに気付かれるのではなく、誰にも気付かれない優しさこそが本当の優しさなのかもしれない。
一月兵庫
夜、姫路から神戸に向かって国道二号線を走っていると、右手方向に光り輝く橋が出てきた。まさに「光の橋」とでも呼ぶにふさわしいような色とりどりのイルミネーションに飾られた「明石海峡大橋」だ。見ていると、刻一刻と色が変わっていく。緑から青、白から赤、というように。その美しさはたぶんに未来的感覚。丸木舟で通りがかった縄文人が見たら、さぞや腰を抜かすことだろう。
十一月
ベンガラの製造でも知られる吹屋は岡山県の山あいにある町だ。ベンガラというのは赤褐色の顔料の事。例えば首里城を思い出していただければその感じがわかるだろう。岡山や広島以西の山間部には今もベンガラ色の伝統的民家が多く見られるが、特にこの吹屋は「赤い町」としてかつてその名をとどろかせた。今もその名残が美しくも不思議な空気として町全体を包んでいる。
二月 新潟
真冬の朝の4時、誰一人居ないホームで列車を待っていた。しんしんと降る雪は時折風に乗ってホームのベンチへも吹きつけてきたが、それは決して攻撃的な感じではなかった。むしろ甘く温かい感覚。それは夢を見ていただけなのか、あまりの寒さに幻を見ていただけなのか。冷たくも優しい手でそっと身体を包んでいくような不思議な心持だった。
一月富山
さくさくと雪を踏みしめながら、路地を歩いていると、ふと線路沿いの小道に出た。何の動物の足跡なのだろう、小さな小さな足跡だけが、「ととと」っと続いている。その上には既にうっすらと雪がつもり、それは触れたらさらさらと崩れていってしまいそうなほどに儚い彫刻のようだった。
六月 長崎
雨雲が走りぬけ、塵を洗い流した長崎の上空は澄みやかで町の光が煌めいている。稲佐山頂上展望台からの夜景は神戸や函館と並んで称される絶景。それぞれの光の下には様々は物語があり、様々な夜がある。静かに夜は更けていき、そしてまた新たな朝が来る。