富山城

富山城

1639年(寛永16年)に加賀藩から分藩する形で誕生した富山藩。その富山藩の中心であったのが、富山城だ。

城は、1543年(天文12年)、越中守護代・神保長職が家臣の水越勝重に命じて築いたものといわれ、神通川の南岸にあって川を天然の守りとしていたため、水に浮いたように見えたことから、「浮城(うきしろ)」とも呼ばれた。また安住郷に築かれたことから「安住城(あずみじょう)」とも呼ばれたという。その後、天正年間には佐々成政が入城して大改修を行い、さらに慶長年間に前田利長により改修がなされた後、1639年(寛永16年)前田利常の次男利次が10万石を与えられて分家、翌年に富山城に入っている。

1661年(万治4年)に幕府の許しの下、本格的な修復が行われると同時に、城下町が整備され、以後明治維新で廃城となるまで、富山前田氏13代の居城、富山藩の政務の中心としての役割を担った。

北辺280間(およそ509メートル)、東辺254間(およそ462メートル)、南辺326間(およそ593メートル)、西辺170間(およそ309メートル)という広大な敷地に、本丸御殿のあった本丸、時鐘台と番所があった二の丸、西出丸、千歳(ちとせ)御殿のあった東出丸(薪丸とも)、上級藩士の屋敷と藩の蔵や役所などがあった三の丸という構造になっていた。

現在の城は、1954年に建てられた模擬天守で、内部は富山市郷土博物館となっており、戦国時代に築城されてから現在にいたるまで、400年以上にわたる富山城の歴史が資料や模型、映像などと共にわかりやすく紹介されている。前田利長が使用したされる高さ140cmの兜「銀鯰尾兜」も必見。4階の天守展望台からは、富山の町が一望できる。

城跡は富山城址公園として整備され、地元の人々の憩いの場となっている。花見スポットとしても知られ、桜の時期になると多くの花見客で賑わう。

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