岐阜城 天守閣からの眺め

岐阜城 天守からの眺め

基本的に城の天守からの眺めというのは素晴らしい所が多い。敵の進入や、城周辺の異変をいち早く察知するためにも、見晴らしが良いに越したことはなく、飛行機や人工衛星などなかった時代、城の天守は物見櫓の様な機能も果たしていた。また、天守からの眺めの良さは「見渡す限りが我が領地である」という城主の顕示欲、所有欲、支配欲、独占欲をくすぐる役目も果たしていたことだろう。実際、天守に登って周囲の景色を見渡すと、素晴らしい開放感、爽快感と共に、眼下に広がる町並み(山並み)が自分の領地であった城主の心情がなんとなく想像できるような気持ちにもなるものだ。

城は、その立地により、平地に築かれた「平城」、山に築かれた「山城」、平地の山や小高い丘などに築かれた「平山城」、海や湖沼に近い場所に築かれた「水城(海の場合は海城)」などに分かれるが、その中でもやはり山に築かれた「山城」は、素晴らしい景観を持つケースが多い。同時に、山に築かれているため、本丸へのアクセスが容易ではない場合も多いのだが、素晴らしい眺めとアクセスの良さを兼ね備えている城の一つが、岐阜県岐阜市にある岐阜城だ。

標高329メートルの金華山(稲葉山)の山上に築かれた岐阜城は、織田信長が改修し、天下統一への拠点としたことで知られる城。(現在、山上にあるのは復興天守)並み居る「眺めの良い城」の中でも特に素晴らしい景色を誇る城で、天守からの眺めはまさに「絶景」と呼ぶにふさわしいものだ。一説には、この岐阜城の天守(天主)が「天守」という呼び名の発祥とも言われており、岐阜の町並みや濃尾平野の景色を一望するその眺めは、まさに「天下布武」の朱印を用いていた信長にふさわしいものだ。

ちなみに「天下布武」とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗妙心寺派の僧で、信長の幼少時の教育係にして、信長が成人した後は参謀を務めた沢彦 宗恩(たくげん そうおん)が信長に送った言葉といわれており、「武力を以て天下を取る」ということではなく、「暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする」という「七徳の武」を兼ね揃えた者が天下を治めるにふさわしいものであり、その「七徳の武」により天下を治める、という意味であるといわれる。

暴君といわれ、焼き打ちや虐殺など、その残虐性がクローズアップされる事も多い信長だが、一方で先進的で合理的であり、自由で好奇心旺盛、民衆に対する思いやりや優しさに溢れていたエピソードも伝わっている。古い考えに縛られずに良いと思うものは次々に取り入れていき、時代を変えていった信長が、もし本能寺の変で斃れずに天下統一を果たしていたならば、その後の日本、そして今の日本はどのようになっていただろう・・・。そんな空想をしながら、絶景を楽しむのも一興だ。

関連リンク:岐阜城

岐阜城 天守へのアクセス

岐阜城の天守のある金華山の山上へは、麓にある岐阜公園から「ぎふ金華山ロープウェイ」が通っており、平日は毎時15分間隔、日・祝日は毎時10分間隔で運行している。バスの場合は、バス停「岐阜公園歴史博物館前」で下車(岐阜駅から運賃210円)、徒歩3分で金華山ロープウェー山麓駅へ、車の場合は、岐阜公園堤外駐車場(住所:〒500-8006 岐阜県岐阜市堤外 営業時間:8時30分~21時00分(年中無休)料金:1時間まで無料、以後300円)に駐車、徒歩すぐで山麓駅へ。ロープウェイは、約3分ほどで山頂駅へ到着、そこから天守までは徒歩で約8分ほど。山上には、眺めの良い山頂レストラン「ポンシェル」やリス村もあって、家族連れでも楽しめる。また、ゴールデンウィーク、夏季、秋季などの期間限定で天守閣の夜間公開が行われており、岐阜城からの美しい夜景を堪能することができる。

金華山 登山

岐阜城へは、徒歩でのアクセスも可能だ。所要時間は、麓から約40分~60分ほど。斎藤道三の造ったとされる七曲口(大手道、距離約1.9キロメートル 所要60分)ほか、西側斜面や、東側斜面、北側斜面を登る道があり、長良川や岐阜の町並みを楽しみながら、天守へと行くことができる。信長をはじめとする数々の武将や、信長について書き残している宣教師ルイス・フロストなどが実際に上った道を一歩一歩踏みしめながら登って行くのもまた楽しい。

撮影場所

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