呉市豊町御手洗重要伝統的建造物群保存地区

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江戸時代の家並みが残る風待ち、潮待ちの港町「御手洗町並み保存地区」

瀬戸内海に浮かぶ島「大崎下島」の港町・御手洗(みたらい)は、江戸時代、瀬戸内海をゆく幕府の交易船や西廻り航路の北前船の寄港地として栄えたところで、風待ち、潮待ちの港町として賑わった場所。

江戸時代初期には安全のため陸地に近い沿岸部を航行していた海運の船も、やがて距離の短い沖合を航行するようになるが、潮流の速い瀬戸内海において風を主動力源とする帆船にとっては、しばしば風待ち、潮待ちをする必要があった。

そのための港の一つとして用いられたのが、瀬戸内海の中部にある下大崎群島の島の一つ大崎下島の御手洗港だ。江戸時代中期頃より海運が盛んになるにつれ発展、突堤や雁木(木造のアーケード)などが整備され、船宿(問屋)、最盛時には100人以上の芸妓を抱えていたという水夫のための待合茶屋なども出来、大いに繁栄したという。

町は、汽船が帆船にとってかわる昭和の初期頃にその役目を終え、衰退の一途をたどるが、戦災などにもあわず、陸路の乏しい立地条件などもあって戦後の開発の波を逃れたこともあり、江戸時代に建てられた町家から明治、大正、昭和の初期頃までに建てられた洋館などの建物、江戸時代の波止場・千砂子波止(ちさごはと)の突堤、高灯籠、雁木などの建造物が保存状態も良く残っている。

1994年(平成6年)に「豊町御手洗伝統的建造物群保存地区」として全国で38番目の「国の重要伝統的建造物群保存地区」の一つに選定されている。

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山がちな地形で、土地が狭い島にあって、数回にわたって埋め立てが行われた御手洗には、狭いエリアの中に、商家、待合茶屋、船宿、住居、神社仏閣などの建物が密集し、その間を路地が網の目のようにめぐっている。

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大波止、石橋、高燈籠、石垣護岸、雁木等、港町の施設が当時のまま現存しているものも多い。
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御手洗および大崎下島の見所

千砂子波止(ちさごはと)・・・文政年間に築かれた江戸時代の波止場。突堤(防波堤)、石組護岸、高灯籠、雁木のほか、浜沿いに続く船宿(問屋)が残る。

若胡子屋跡(わかえびすやあと)・・・県史跡に指定されているかつての待合茶屋の跡。入母屋造、本瓦葺きで二階建。最盛期には100人以上の芸妓がいたといい、港に滞在する船の商人や水夫でにぎわった。現在は、過去の資料を展示している。

七卿落遺跡(しちきょうおちいせき)・・・ 1863年(文久3年)の八月十八日の政変により京都を追われた三条実美ら七卿のうち五卿は、この島に立ち寄っており、その際に滞在したという屋敷。県史跡。

潮待ち館・・・元商店を利用した観光案内所。喫茶休憩所として利用できるほか、お土産販売コーナー、散策地図もあり。

江戸みなとまち展示館・乙女座・・・かつての劇場・映画館を復元した施設。1937年(昭和12年)築。内部は一般公開されているほか、今も映画の上映や大衆演劇などに使われる。一般への貸し出しもされている。

歴史の見える丘公園・・・御手洗地区を見下ろせる高台に作られた公園。御手洗エリア、対岸の岡村島、来島海峡、晴れた日には四国の山々が一望できる。

一峰寺山・・・大崎下島町内最高峰の標高449メートルの山。山頂にある展望台からは瀬戸内海と島々が一望できる。

宇津神社・・・災難除・海難除の神として崇敬を集める神社。

住吉神社・・・御手洗町並み保存地区の南側に鎮座する神社。千砂子波止の鎮守として1830年(文政13年)に創建された。
金子邸・・・金子氏は町年寄・庄屋役を勤めた有力者。幕末に、倒幕のための御手洗条約が結ばれた場所。

御手洗天満宮と菅公の井戸・・・1755年、天神社として創建されたのが発祥といわれる神社。境内に、菅原道真が太宰府に左遷され、途中でこの地に立ち寄った際に手を洗ったという井戸があり、この故事が地名の「御手洗」の由来になったとされる。

満舟寺・・・真言宗の寺院。平清盛ゆかりの寺院で、十一面観音を安置したとして知られる。本堂、鐘楼のほか、俳人栗田樗堂の墓がある。豊臣秀吉が四国攻めの際に、加藤清正に命じて築いたとされる野石積みの「乱れ築き」の巨大な石垣が有名。

新光時計店・・・全国から修理の依頼が届く時計店。

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