四国遍路
いつの時代も、何かを求めて人は歩き続ける。
それは平穏な日常への願いであったり、叶わぬ想いの反芻であったり、来世への望みの糸すじであったり、自らが行ってきた業の贖罪であったり。
各人が何かを願い、各様に何かを探して歩き続ける。
清らかな心や、安寧な日々や、健やかな身体や、悟りへの境地。そんなものを目指ながら祈願しながら希求しながら、望みや悔いや痛みや願いを抱いて歩いていく。その道のりは決して平坦ではない。その白装束には、道中いつ斃れてもいいように、いつ野垂れ死にしても、大師様の元へ行けるように、という意味があるという。
この世界は様々な思いで溢れている。お釈迦様曰く、人の心は生まれながらにして清いものではないと。それを証左に、争いはいつの世も絶えず、苦しみはなくならない。苦しみが苦しみを作り、哀しみが新たな悲しみを生む。お釈迦様はまた、「生きることとは苦しみである」、と宣ったという。金持ちも貧乏な人も賢者も愚者もいつか必ずこの世から身罷る。いつか必ず、死んでしまう。人生は一度きりしかない。しかしその人生さえ、根本は「苦しみ」である、と説かれたのだ。
それならば、生きるとはどういうことなのか。生まれながらにして清らかならざる心でもて、苦しみと対峙しながら生きざるを得ない我々人間は、いかにして生きていくのが正しい道なのか。刹那的か、衝動的か、享楽的か。独善的か、自虐的か、恣意的か。観念的か、流動的か、利己的か。情動的にか。理性的にか。何を指標に、何を根源として生きるべきなのか。
人はやがて死ぬ。自我も消えゆく。いつしか存在の痕跡さえ消えてしまう。しかし、智慧は残ってゆく。先人達の偉大なる教えや智慧の金塊は、決して潰えることはない。財産は盗めても、真の心は盗めないと、智者の言う。
「四国八十八箇所霊場巡り」それを成し遂げた時に、人は何を感じるのか。何が見つかるのか。それは成し遂げた者のみが知る世界であろう。感覚は言葉になりえない。言葉は心ではない。経験なき表層は、言霊の霞にもならないのである。
全行程1440キロ。ある人は深い深い世界を求め、ある人は愛する者への悼みを胸に、ある人は惑い彷徨う自我を探しに、ある人は「真の心」を探索する為、金剛杖を手に脚絆をつけて、今日も一歩一歩進んでゆく。
現代ではバスを始めとした交通網もある程度発達し、比較的容易に(といっても決して楽な行程ではないが)遍路に出ることが出来るが、「辺路」とも書いたその名の通り、かつては修行僧が弘法大師の足跡を辿って四国を遍く回ったという過酷な行であった。
古来より四国は山岳信仰の盛んな地であり、紀伊の熊野や吉野の金峯山、東北の月山、羽黒山、湯殿山のように山岳修験道の地であった。讃岐の国で生まれた空海も、唐に渡る以前のまだ若かりし頃、四国を修行して廻ったという。空海は唐から真言密教を持ち帰り、その教えを広め、高野山に金剛峯寺を建立するのだが、その空海亡き後、空海の弟子や信心深い人々が、「弘法大師」空海の足跡を辿って四国を巡ったのが八十八ヶ所めぐり、「遍路」の始まりといわれる。それゆえ、晴れて八十八ヶ所巡り終え「結願(けちがん)または結願成就)」となると、高野山の「奥の院」に詣で、「満願成就」とされるのである。
始めは、修行僧やごく一部の信者のみに行われていた「遍路」も江戸時代に入ると、広く庶民にも行われるようになった。現代と比較するとはるかに不便だったとはいえ、少しずつ道も整備され、17世紀には「四国遍路道指南」という案内本も出される。霊場の数が八十八箇所となったのもこの頃といわれている。(阿波 (徳島県) 二十三寺、土佐 (高知県) 十六寺、伊予(愛媛県)二十六寺、讃岐(香川) 二十三寺の計八十八寺である。)それぞれ発心の阿波、修行の土佐、菩提の伊予、涅槃の讃岐と呼ばれる。
上記の通り、江戸より此の方、沿道も整備され、遍路に出る人の数も増えたのだが、それでも1950年代まではまだまだ未舗装の道路も多く、依然として「辺土」と呼ばれた(辺には「はて」という意味があるとおり)四国の霊場八十八箇所を巡ることは容易ではなかった。一部の金銭的時間的に恵まれた人々や、強い信仰心や願いを持った人々に限られていた。が、戦後の好景気などの影響で旅行に出かける人も増え、その流れの中で、旅行会社などが八十八箇所めぐりを主催したこともあり、四国八十八箇所巡りはメジャーなものとなっていった。ロープウェーが設置されたり、今まで健康的、肉体的に断念していた人々も遍路に出ることが出来るようになったのだ。今日では、純粋な歩きのみのお遍路は年間数千人程だが、車やバス、オートバイ、自転車などで巡る人々も入れると年間数十万人に達するといわれている。一国参りと呼ばれる、各県毎に区切って回る人や、適宜区切って何度かに分けて回る人、部分的に回る人々も多い。
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