光が織り成す日本各地の美しい景色の数々。
子供の頃、ふと空を見上げたら雲間から漏れてきた光がすうっと降りてきて、それはまるで天へと続く梯子のようで、そのあまりの美しさにしばらくぼーっと見入ってしまった、そんな経験をお持ちではないだろうか。ヨーロッパではジェイコブズ・ラダー(ヤコブの梯子)と呼ばれるその現象の呼び名は、聖書の中に出てくるヤコブの見た夢の話に由来している。天使が天から上り下りする、その為の梯子。科学的にはこれはチンダル現象の一種として説明されている。すなわち、「光の波長程度以上の大きさの球形の粒子によって光が散乱現象を起こすことをミー散乱といい、主にそのミー散乱によって太陽光が散乱し通路が見える」こと。
仮に子供の頃にその説明を聞いたとしても、「ふーん」と上の空で頷いて、またぼーっと空を見上げるに違いない。科学的な説明がどうあれ、大事なのは目の前に繰り広げられる美しい現象。荘厳で神秘的な美しさにただただひきつけられて空を見上げ続ける。
そしてどうやら、その性癖は今でも殆ど変わっていないらしい。
空へ昇ってゆくのか。天から降りてくるのか。地上へと降り注ぐ光は昨日の夢なのか。
光と影は刻々と変わっていく。景色は移ろいゆく。眼前に広がる光は永遠ではない。目の前に広がる影もまたしかり。その「一瞬」の積み重ねが「永遠」に繋がってゆくのだとしても、その「永遠」はまた「一瞬」に回帰していく。集まった「永遠」は、分散してまた「一瞬」に戻ってゆく。天から一筋光降る。
言うまでもないことだが私達は太陽なしでは一日も生きられない。日光が植物を成長させ、動物を育み、世の中を明るく照らす。太陽があるから呼吸が出来、太陽のお陰で毎日を過ごしていける。一説には50億年後に消滅してしまうといわれている太陽。その後の地球を、ほんの少し想像するだけで薄ら寒いものがある。あまりに先の話だから、それは考えもつかないとしても、そんなことを思うまでもなく太陽が私達にとってかけがえの無いものであるのは事実だろう。地球上の全ての生命体がいずれかの形で太陽の恩恵を被っているのは確かなのだ。
その一方で、太陽は時に生命を脅かし、植物を枯れさせたりもする。皮膚がんの原因になり、旱魃の折りには日の光がむしろ被害を拡大させる。砂漠では水を奪い、命を奪う。無くても生きられぬがあり過ぎても生きられぬ。それは全ての事柄に通ずることなのかもしれない。絶妙なバランスの元で世界は成り立っている。ほんの少し、何かがおかしくなるだけで全ては変わっていってしまう。何気ない日常の中で、改めて日の光に感謝することもあまりない。ありがたみを常に感じることもない。今生きている環境にさして思いも及ばぬまま、毎日は過ぎていく。明日もまた平穏無事な日々が来ると。それでもきっと気がついた時では遅いのだ。-----二進も三進もいかなくなる前に。-------
美しい風景を後世の人々にも伝えゆくためにも。---
17世紀のオランダの画家レンブラントはその光線の扱い、色調と明暗の表現法に秀で、数々の名画を生み出した。「光の画家」と称される。彼は、光と影をたくみに用い、絵に深みと躍動感を与え、透明かつ重厚な美しさを持ち込んだ。陰影があるからこそ、そこに美しさが生まれる。影が光なくしては存在しないように光もまた影なくして存在しない。真の美しさは闇を携えた光の中にある。
夜を後ろに置いたまま、一日はゆっくりとあけてゆく。天空はるかに光鳴く。
羊飼いは笑みを浮かべ、今日一日は暮れてゆく。好天の徴し。好転の兆し。全天光(ひかり)夜を浚う。