日本の伝統工芸
時間をかけて紡ぎ出されたものが放つ美しさ
何百何千と繰り返されてきたことによって初めて生み出される所作の美
光と影が入り混じり対峙しあいその絶妙なバランスの元で醸し出される美しさ
日本の伝統にはそんな美が溢れている。日本の伝統工芸品や伝統芸能には、独特の美しさと緊張感がある。無駄なものがそぎ落とされた、シンプルで自然なデザイン。そこに加わるぴりっとした張りと一匙の遊び心。多くの時間と沢山の人々の努力研鑽、智慧の集積。そして生み出される技巧とその継承。そこには時に、携わる職人や演者本人でさえ、どうしてそうなのか、どうしてそうなるのかわからないという、精緻で微細なものも含まれるという。今の最高水準の機械をもってしても、中々為し得ないまたは計り得ない極小の差異を感じ、見極める匠。十年、二十年程度のキャリアでは、よちよち歩きに等しい扱いをされてしまうほどに、高度で奥深い技能と感覚。現代の科学でもってしても解明できない世界がそこにはあるのだ。技極まって、至高の作品が生まれる。
日本の陶芸の起源は古く、遠く縄文時代にまで遡る。国内各地でおよそ一万二千年前のものといわれる土器が出土しているのだ。その後の日本の陶芸の歴史は、朝鮮や中国の影響を大きく受けてきた。まず、仏教伝来と前後して、渡来人によって窯や轆轤(ろくろ)が伝わった。それまでのひも状の粘土を積み重ねて成形し、野焼きをして焼成していたものに対し、より形の整ったものを造ることが出来るようになり、かつ高温で焼き上げることにより、丈夫で水漏れのしないものとなった。これら須恵器(すえき)とよばれる青灰色をした陶器は、古墳時代から中世初期まで製造されていた。
その後鎌倉時代になって、釉薬(ゆうやく)を使った焼き物が作られるようになる。釉薬というのは「焼き物にかけるうわぐすり」の事。焼き物の表面を覆うガラス質の皮膜で、それまでも粘土に含まれる微量の長石が溶け、自然に焼き物の表面を覆う自然釉と呼ばれるものは偶発的に焼かれていたが、本格的に出来上がりの想定をして釉薬が用いられるようになったのは、平安後期から鎌倉時代になってからのことという。この釉薬をかけて焼くことで、焼き物の吸水性がなくなると共に、様々な色を発色するので、装飾性も高まることになる。ようやく現代の焼き物にもつながるようなものが造られるようになったのだ。
釉薬や、使用する土、そして窯などに改良工夫が凝らされ、彩色も施されるようになって、各地の焼き物は独自性を増していく。その中でも、質の悪いものは自然に淘汰されていくのだが、そうして残ったのが、現代でもその名を知られる「瀬戸、常滑、備前、信楽、丹波、越前」の「日本六古窯」と呼ばれるもの。数ある中でも、こうして残っていくというのは、陶工達の腕や努力もさることながら、使用する土の安定した供給や、燃料となる薪の調達、釉薬の品質、後継者の有無なども大きく関わっており、それは現代においても存続を揺るがす問題として大きく横たわっているのである。
手に持つと木独特の柔らかさと優しさがほっとする、陶器とはまた違った魅力を持つ漆器。蒔絵、沈金、螺鈿などの施された豪華なものから、しっくりと木肌の馴染む普段使いのシンプルなものまで、実に様々なものがある。色も、朱、黒、溜といわれる黒に近い色から時と共に透けていく色まで。味噌汁や吸い物はやはり漆器の椀で飲みたいという方も多いだろう。最近ではウレタン性の合成漆を塗ったいわゆる偽物も多く出回っているが、やはり本物の質感には及ばない。天然の漆は扱いも楽ではなく、現在はその殆どを中国からの輸入に頼っている状況だが、それでも自然のもののみが持つ深い味わいと、数値では決して測れない微細な混沌がある。それこそが本物を本物たらしめるに欠かせない要素であり、昔の人々が漆を研究し、観察し、何度も試用し、そうして完成されてきた技なのだ。漆器というのは「漆」というものの特性を知り、特徴を掴み、その素晴らしさを最大限に引き出した結果出来上がる産物なのである。幾人もの職人達が携わり、気の遠くなるような工程を経て作り上げられた漆器は、古来よりの人々の智慧と知識と技術が連綿と伝承され継承され、それらが凝縮して始めて出来上がる奥の深いものなのだ。
日本の人形と聞いて、果たしてどんな人形を思い浮かべるだろうか。雛人形?五月人形?からくり人形?紙人形?そう、一口に人形と言っても実に様々な種類の人形がある。人形とは、呼んで字のごとく、元来は人の形をしたもの。実際には、動物や想像上の生き物も含まれるが、日本古来の人形は基本的に、土や紙や木で出来た人の形をしているものをいう。それはただの子供のおもちゃではない。時には、精巧緻密に作られた部品や仕組みやからくりが合わさることによって、まるで生きているかのような表情を持ち、さらには浄瑠璃や芝居などで熟練の人形遣い達に操られることによって、まさに生きているかのような動きとしぐさをする、一つの芸術品なのである。
「人形」は元々、人間の「願い」や「祈り」を具象化したものといわれている。失われた者や手の届かぬ者、去ってしまった者や旅に出ている者への憧憬や悄愴、畏敬、思慕恋慕、そして自分自身や家族親類縁者の健康や出世、回復平癒等の願望や希望などを、形として存在する物体に込める為の物、さらには厄災などからの身代わりとして、また呪術的な対象としての意味合いを持った存在、それが「人形」だったのだ。それらは必然的に、祭礼や宗教的儀式にも使われた。当然、子供たちの玩具としての側面も人形は古くから持っていた。赤子をあやす為、幼子を喜ばせるために、人間や動物をかたどった人形は自然発生的に生まれたといわれる。
そんな人形も、いつしか唄や曲、物語などと共に動きを持つようになり、命を吹き込まれ、また一方では装飾的要素が強くなって、時には地位や財産を表す尺度にさえなり、着衣や小物類がより手の込んだものとなっていった。人形は本物さながら、いや、それ以上の衣類と小物を持つようになったのである。今でも山形や新潟などの旧家に行くと、昔から伝わるそのような瀟洒で絢爛なる雛人形や五月人形を見ることが出来る。
他の工芸品と大きく異なる点、それはどれほど高価でどれほど手の込んだものであったとしても、殆どの場合において、実際に身につける、身に触れるということだ。勿論掛けたり敷いたり拭いたりといった用途のものもあるが、それでもやはり大方が実際に人間の手にふれ、肌にふれ、身体に纏われる。至高の工芸品だろうが美術品だろうが、そうである。或る意味、最も基本的で最も究極のものと言えるだろう。ただ文様やデザインが奇抜なだけでは駄目なのだ。手触り、着心地。見て美しく、楽しく、触れて心地よい。滑らかさ。たおやかさ。色彩や意匠が、作り手の技と思いを纏い、人の手と心に触れる。
命を奪い合う武器になり、身体を守る武具になり、飾るための装飾品となり、命をつなぐために料理をするための調理器具となり、命の恒久無事と幸せを祈るための祭具となり、建物を建てるための道具となり、農耕や伐採をする上で欠かせない器具となる。それがいわゆる金物と言われる鉄や銅などで出来た製品だ。こうしてみると金物がいかに生活に密着し、欠かすことの出来ないものであるかがわかる。これら金物の製造も古くから行われてきた。古墳時代にはすでに青銅器が作られ、五世紀頃になると「たたら」と呼ばれるふいごを用い原料に砂鉄を使った製鉄が出雲や九州で行われるようになる。紀元前1600年ごろにヒッタイト(現在のトルコ付近にあった帝国)で始まった製鉄は、インドや東南アジアを経て紀元5世紀頃に日本に伝わり、その後現在に到るまで改良を加えられながらも、続けられているのだ。そうして造られた鉄は、用途に合わせてさらに加工されていく。中世以前、鉄は貴重なものであり、一般庶民が日常的に所有できるものではなかったが、鉄の生産量が増え、次第に個人所有が行われるようになる(当初は主に武士)鎌倉時代以降、全国各地に鉄加工の技術が広まってゆく。
私達にとって一番身近な素材と言えば、木や竹ではないだろうか。木や竹は全国各地のほぼありとあらゆる場所に生えており、容易に手に入れることが出来る素材。なおかつ加工自体も比較的やりやすいことから、木工品や竹工品は有史以来の長い歴史を持つと考えられる工芸品であり、日用品だ。日々の食事や調理に欠かせない箸やまな板、しゃもじ、食器類などから、箪笥や仏壇、釣竿や魚篭(びく)などに至るまで、実に様々な道具・用具が木や竹で作られる。今ではプラスチックなどの新素材に変わられたものも少なくないが、やはり木や竹で出来ているものに、安心する向きも多いだろう。