石見銀山・龍源寺間歩

石見銀山・龍源寺間歩(まぶ)

龍源寺間歩(まぶ)

「間歩」というのは銀を採掘する為に掘られた坑道のこと。数百ヶ所ともいわれる石見銀山の間歩の中でも有数の長さを誇る、まさに石見銀山を代表する間歩。年間数百貫程度に過ぎなかった産出量が徳川幕府直轄地になって後、3~4千貫に達した石見銀山の銀産出量。産出量が増えると共に間歩はさらに長く、さらに奥へと延びていった。銀山旧記に「慶長の頃より寛永年間の大森士家の人数20万人、1日米穀を費すこと1500石余、車馬の往来昼夜をいはず・・・」と記されていることからも、いかに多くの人や馬が投じられていたかが判る。

石見銀山

龍源寺間歩

 

フルスクリーンで見る「龍源寺間歩」と付近の様子は こちらから。(全15枚)

清水谷製錬所跡

石見銀山

清水谷製錬所跡

始めは銀鉱石をそのまま出荷していた銀山だが、輸送コストもかかり、効率も悪いことから、やがて製錬も行うようになる。最盛期には各所に製錬所があったと伝えられるが、銀鉱石の産出量が次第に減り、銀山も衰退していく。そんな中明治維新を迎えた後、1894年(明治27年)に、当時の金額で20万円(現在の20億円ほどに相当)という巨費を投じて建設されたのがこの清水谷製錬所。しかし翌年4月の操業開始から僅か7ヶ月で閉鎖となってしまう。隆盛を極めた石見銀山の残光の痕跡が、今や木々が生い茂る山に戻りつつある中にひっそりと佇む石垣に見ることが出来る。

 

石見銀山

清水谷製錬所跡

石見銀山

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