朝顔市

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下町の夏の風物詩

天明期(1781年~1789年)を代表する文人・狂歌師、大田 南畝(おおた なんぽ)の狂歌「恐れ入りやの鬼子母神」で知られる入谷鬼子母神(法華宗本門流の寺院・真源寺)とその周辺で、毎年七夕の前後3日間(7月6日、7日、8日)に行われるのが、朝顔市。鬼子母神とその門前に120軒の朝顔業者と100軒の露店が並び、色とりどりの朝顔をやり取りする光景が繰り広げられる。江戸の風情あふれる情緒的な下町の夏の風物詩として知られる催し物だ。

朝顔市
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朝顔市の歴史

 

朝顔市の歴史は江戸末期の文化・文政の頃(1804年~1829年)に始まる。

元々、朝顔は、奈良時代末期~平安時代頃に遣唐使によってその種子が薬として持ち込まれた。以後、長い間、朝顔は薬用植物として育てられていたが、花の可憐さが愛され、いつしか観葉植物として栽培されるようになる。

特に江戸時代に入ると品種改良が進み、様々な色と形の朝顔が現れた。八重咲きや花弁が細く切れたりしたものなど、通常の朝顔とは異なる珍しい形をしたものは殊に珍重され、江戸や上方を中心に庶民の間で爆発的なブームとなり、木版の図譜類も多数出版されたという。最盛期には実に1000種類に及ぶ朝顔があったというから驚きだ。

おもに、今の御徒町付近の下級武士(御徒目付)により盛んに育てられていた朝顔は、町の変貌や江戸幕府から明治政府への変遷により、いつしか入谷の植木屋で育てられるようになった。この入谷の土が朝顔の生育には最適だったようで、栽培数はさらに増え、「入谷の朝顔」として広く知られるようになる。朝顔を育てる植木屋は、明治二十四・五年頃には十数軒を数えるようになったとか。評判を呼んだ入谷の朝顔は、「牽牛花」と呼ばれていた別名にちなみ、七夕の前後の三日間、市が開催されるようになった。(牽牛とは、七夕の牽牛・淑女の、牽牛のことだ。)

当時、入谷の周辺一帯には蓮の田んぼが広がっており、往来を止め(通行止め)、木戸銭(入場料)をとって、開かれた市で、人々は思い思いに朝顔を楽しんだ。「涼しき朝風に吹かれ乍ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たり敷かば、観客頗る多く、非常の盛況を呈したり。」と書き記されるほどの盛況ぶりだったようだ。

その後、大正時代に朝顔市は一度廃れるが、戦後の昭和23年に復活、今や期間中40万人以上の人々が訪れる下町の夏の一大イベントとして人気を呼んでいるのだ。

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Memo

朝顔市は、朝早くから開花する朝顔に合わせ、早朝から開催されている。期間中の土日には、午前11:00から鬼子母神前の通りが通行止めとなり、広々と楽しむことができる。ただ、人出が多いのと、時期的に大変暑くなる季節でもあるので、日射病、熱射病には十分注意したい。こまめに水分を取ったり、休憩をしたりするのが肝要だ。特に水分に関しては、体温が上昇して、「のどが渇いた」と思う頃には、体にとっては少し遅すぎることもあるので、早めの水分補給を心がけたい。

お出かけのおすすめの時間帯は少し日が陰った頃。明るい時間の朝顔市を散策して楽しんだら、休憩し、また夕方から夜の朝顔市を楽しもう。夕方の涼やかな風に吹かれながら、次第に暗くなる周囲と、明かりの灯される屋台。浴衣姿の人々。おいしそうな匂い。江戸時代の雰囲気がほのかに漂う、情緒ある下町の夏の風景は、心に残ることだろう。

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