平等院

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末法思想と平安の人々

人は誰もが幸せを願う。日々の平安を願い、健康を願い、様々なものの成功を望む。思いや願いは人それぞれ。物質的願望、精神的希求、身体的な望み。仕事の成功や恋愛成就、学業成就、良好な人間関係を願い、平癒快復を願う。私達人間のみならず、生きとし生けるもの全てが生まれながらにして幸福を望んでいると釈迦は説く。

その釈迦が入滅(死去)したのがおよそ二千五百年前といわれている。そして、釈迦入滅からおよそ千五百年後、今からおよそ千年前の平安時代後期の日本では「末法の世」という思想が世を支配していた。この「末法思想」とは、釈迦の入滅後二千年経つと、法は失われて世は乱れ、疫病や戦乱が流行り、世界は混沌とするという思想である。これは本来的には、時間が経つにつれて釈迦の教えが正しく伝わらなくなり世が乱れる、という仏教的な立場から見た思想であったが、多くのものたちはこれを現世的な終末感と結び付けていたという。世は藤原氏の摂政関白時代、権力争い激しく政情は不安定、その上地震、水害、飢饉や旱魃、疫病が流行り人々は生きる事に日々不安を感じていた。漠然とした不安に包まれる世の中を、当時の人々が「末法の世」の到来と捉えていたことを想像するのは難くない。現世的な栄華を謳歌していた貴族達も茫漠とした不安から逃れることは出来ずにこぞって阿弥陀如来を信仰し、仏堂を建て、一心に極楽浄土を祈ったのである。

西方極楽浄土の具現

像法(ぞうぼう)(正法、像法、末法と続く)の末期に書かれた「末法灯明記」によると、この末法の世が始まる最初の年は1052年(永承7年)とされており、民衆の間では特に阿弥陀如来に救いを求める浄土信仰が盛んになる。そんな中、宇治川を望む景勝地に建立されたのが世界遺産にも登録されている「平等院」だ。

宇治の地は元来、宇治川を望む景勝地として平安時代には数多くの貴族の別荘がおかれるようになった場所。娘達を次々と天皇家に嫁がせ、権力を欲しいままにした「藤原道長」も宇治に別荘を建てた一人だ。その道長の子である関白「藤原頼道」が、その父の別荘「宇治殿」に阿弥陀堂を建立し、寺院としたのが「平等院」の始まりで、本尊阿弥陀如来像を安置する中堂(ちゅうどう)を中心に、翼廊と呼ばれる左右に長く伸びる廊下と尾廊と呼ばれる後方に突き出た廊下、さながら鳳凰が両翼を広げたような形状の建物は「鳳凰堂」と呼ばれるにふさわしく、西方極楽浄土をこの世に現出させたような壮麗な建物である。

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国宝「阿弥陀如来坐像」

像高278.8cm。平安時代後期、1053年(天喜元年)に仏師定朝によって造られた。寄木造の技法で作られた像は穏やかな表情を見せ、完成された美しさを持つ。

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「鳳凰」

鳳凰堂に向って右像(写真右)高98.8cm、総幅34.5cm、左像(写真左)高95.0cm、総幅44.5cm。共に複製。大気汚染による腐食を防ぐため取り外されて、宝物館に保管されている。

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平等院鳳凰堂と十円玉、一万円札

十円玉の裏に描かれているのは、平等院の鳳凰堂。一万円札には、鳳凰堂の鳳凰をデザイン化されたものが描かれている。「鳳凰」は元々中国伝来の想像上の鳥。極彩色で、霊泉を飲み、地域によっては不老不死、甦りの象徴ともされてきた伝説の鳥だ。縁起物として、また豊かさの象徴として、美術品や建築物など様々な場所にその意匠が使われている。金閣寺の上に飾ってある像も鳳凰像。

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