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出雲大社

出雲大社

神話と出雲の国の大社(おおやしろ)

科学の発達した現代にあってもなお当然の様に世の中には科学では説明の出来ない数々の不可思議な現象や事象がある。原因や理由が解らないと人は殊更に畏怖や恐怖、不安や心配を感じるもの。今よりも科学の発達していない時代ならなおさらだろう。仮に、昔の人々は、現代人よりも遙かに優れた自然的動物的感覚を多分に持ち合わせていたとしても、やはり対象物や現象、災害や病気などに対する、無知から来る恐怖心は今よりも何倍も大きかったであろうことは想像に難くない。

そんな生活の中で人々が大切にしていたであろうもの、それは「信じる事」ではなかったか。今なら科学的に見て「迷信」として片付けられてしまうような事も含めて、日々の生活に密着した形で、様々なものを信じ、生活していただろう。ひとたび地震が起きたり、山が噴火すれば、多くの人々が、それは神の怒りと捉えたであろうし、伝染病の蔓延や、農作物の不出来などに際しても、多くの人々がそれらの自然現象の後ろに在られる大いなる存在を常にどこかで感じていたに違いない。そして、それらの現象やその結果の多くは、姿形を変え、例えば説話や教訓、昔話の様な形となって、親や祖父母を始めとする村や集落の大人達から、子供達へと口伝で、または書物で伝えられてきた。それらの多く– 話そのものやその根底に流れるアイデア — は何百年も何千年も前から、脈々と伝えられてきたもので、さらに、それらは時代時代の学者や識者、作家などによって、纏められ、物語として今に残った。その中でも人類の歴史にとって特に重要なものの一つが「神話」と呼ばれる物語だ。

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神話とは一口に言えば、この世界がいかにして始まり、神代の昔から人間の時代まで、どのようにして物事が成り立ち、継続してきたかを記した物語。人間を超越した存在、「神々」という名の超自然的、形而上学的な存在が、我々人間とどう関わってきたのか、を説き、また神々と自然、そして人間が織り成してきた出来事が、様々な形、語り口で綴られ、様々なものの存在理由や存在意義を説明し、時には必要とされる考え方や価値観、実際的な儀式儀礼などをも示唆し、伝えられてきたものだ。差異はあるが、人間やその他の生き物の誕生、発生などを含めた森羅万象の起源そして消滅、理由、原因など、あらゆるものが網羅されている。

古くから人々に読み物として、規範として、また教訓として親しまれてきた神話の源は、世界各地で自然発生的に出来上がったといわれ、人や物の交流と共に拡散し各地に伝わりながら双方向的に影響を受けつつ、エジプト、ギリシャ、ペルシャ、中国、インド、北欧、そして日本など、世界各地のそれぞれの場所で継承されてきた。

中には「神話」と聞いて、全て荒唐無稽な作り話と一蹴してしまう人もいるかもしれないが、神話には、あながち全て作り話と言い切れない部分が沢山あるのもまた事実。それゆえに世界中で多くの学者や歴史家、作家などに研究されてもきたのだ。例えば、有名なのはシュリーマンの発掘したトロイのイリオス遺跡だろう。ギリシア神話に出てくるイリオスは架空の都市に過ぎないと考えられていたが、実際に存在した事をこの発掘が証明したのだ。

兄弟喧嘩や恋愛など、時には人間くさい面を見せながらも人間を越えた存在として描かれる神々の物語は、事実か作り話かはともかく、今よりも自然に囲まれ不知の事柄の多かった古代の人々の、自然や未知なるものへの感謝と畏怖と興味の心が多分に反映しているのだろう。それらが熟して伝えられてきた物語を、ロマンとして捉えるか、事実として捉えるか、ナンセンスな作り話として捉えるか、歴史として捉えるか、信仰として捉えるか。はたまた後世の権力者による、民心支配の上で都合のよいように書き換えられ歪曲された実際の歴史的事実とは異なるプロパガンダ的な話として捉えるか。

そもそも、そんな議論さえもナンセンスなのが「神話」なのかもしれないが、それはともかく、現代に至るまで、それら「神話」の世界が様々な形で我々人間の生活に影響を与え、今もしっかりと息づいているのは確かなのだ。

出雲大社

さて、そんな神話がとても身近に感じられる場所が、八百万(やおろず)の神々が集うといわれる神話の国、出雲だ。八重垣神社、神魂(かもす)神社、熊野大社、須佐神社、日御碕神社、長浜神社などなど「出雲国風土記」にも出てくるような名だたる神社が数多くあり、そこかしこに神話の香りが漂う場所。中でも、日本有数の聖地であり、伊勢の神宮と並び称される神社が、出雲大社だ。現在では、住吉大社や諏訪大社、伏見稲荷大社、気多大社など、「大社」を名乗る神社も少なからずあるが、単に「神宮」といえば伊勢神宮を指すように、かつては「大社」といえば出雲大社を指した。別格であるという証左だろう。出雲大社は、歴史や由緒、その規模から見ても日本を代表する大神社の一つなのである。

古代出雲はかつて強大な勢力を誇り、大和政権の勢力下に下るまで、出雲地方のみならず、遠く北陸から九州に至るまでを支配し影響を与えた巨大国家だったという。そして出雲は政治的のみならず、文化的、宗教的な中心地でもあり、その広大な勢力圏を支配する基盤となっていたのが、出雲大社を中心とする出雲信仰だったといわれているのだ。

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出雲大社

出雲大社はかつて杵築大社(きづきたいしゃ。きづきのおおやしろ)と呼ばれていた。延長5年(927年)にまとめられた、全国の2861社の神社の一覧を記した延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)にも「出雲国出雲郡 杵築大社」と記されている。現在の様な「出雲大社」となったのは明治4年(1871年)のことで、正式には出雲大社と書いて、「いずもおおやしろ」という。ご祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。

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神楽殿の注連縄

長さ13m、太さ8m、重さ5トンの日本一の大注連縄。一般的に日本の神社の注連縄は右から綯い始めるものがほとんどだが、出雲大社を始めとする島根及び山陰の注連縄は「大黒じめ」と呼ばれる左から綯う注連縄が多い。出雲大社は「大社造(山陰地方の神社に多い日本で最も古い神社建築様式の一つ)」と呼ばれる建築様式で作られており、「大社造」の神社ではご祭神が西をむいて鎮座する為に、向って左側が上位になるためといわれる。

出雲大社

いつの頃からか、注連縄に向って下からお賽銭を投げ上手くささるとご利益があるとして注連縄に小銭を投げる人が増えたというが、これは出雲大社の正式な参詣の作法ではないという。

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拝殿の注連縄

神楽殿の注連縄よりはやや小ぶりだが、それでも長さ6m、重さは1.5トンある拝殿の注連縄。本殿の修造は平成25年に終了した。末社、摂社をあわせた全ての修造は平成28年までの予定。

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拝殿

出雲大社

出雲大社本殿

延享元年(1744年)に作られた本殿。高さは約24mで木造の社殿としては日本最大級。社伝によれば、中世(平安~鎌倉)期には現在の倍の48メートル、さらに古代(古墳時代~飛鳥)期には96メートルもの高さがあったという。48メートルといえば高さ45メートルの奈良の東大寺大仏殿よりも大きかった事になる。平安期に源 為憲(みなもと の ためのり)が太政大臣藤原為光の子で当時7歳の松雄君の為に作ったと伝わる「口遊(くちずさみ・くゆう)」という教本的な数え歌では日本の大きな建物として「雲太(出雲太郎=出雲大社)・和二(わに・大和二郎=東大寺大仏殿)・京三(京三郎=京の大極殿)」としており、出雲大社を日本一大きな建物と位置づけている。

古代の96メートルはおろか、48メートルの高さの建物でさえ長らく誇張、伝承と思われていたが、平成12年に境内の八足門(やつあしもん)前から巨大な柱が出土し、にわかに現実味を帯びた。

出雲大社

出雲大社と縁結び

出雲大社はご祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の読みから「だいこくさま」とも呼ばれ、「大黒様」に通じるところから、商売繁盛のご利益もあるといわれるが、全国的に最も有名なのはなんといっても「縁結び」の神様としてだろう。出雲の国に集まってきた神々は、種々の決め事と共に縁組の相談もしているとされ、そこから縁結びのシンボルになったとか。ちなみに「縁結び」とは男女の良縁のみならず、広く人と人や人と物の縁を結ぶことをいい、出雲大社には良い縁との出会いを求める人々が今日も沢山訪れるのだ。

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素鵞社(そがのやしろ)

御祭神は素箋鳴尊(スサノオノミコト)。本殿の後ろ側、八雲山の麓にある。延享5年(1748)7月に建てられたもの。

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十九社(じゅうくしゃ)

出雲の国に集まった八百万の神々のために用意されている宿泊所。東西に一つずつあり、10月の神在祭の時だけ扉が開けられる。

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出雲大社の参拝の仕方

まず鳥居で一礼し、参道へ。参道を少し行った右側にある祓社(はらいのやしろ)でお参りし、心身ともに清める。さらに参道を進んでいくとやがて手水舎が見えるので、手と口をすすごう。それから拝殿へ。出雲大社では、他の神社と違い「二礼・四拍手・一礼」が正式な作法だ。

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出雲大社周辺のスポット・食事

稲佐の浜

稲佐の浜

稲佐の浜

出雲大社から歩いて10分ほどのところにある砂浜。古事記や日本書紀にも「伊那佐の小濱」(古事記)「五十田狭の小汀」(日本書紀)として出てくる国譲り神話の舞台だ。一年に一度、出雲大社に全国から神々が集い、会議を行う際も、竜神(海蛇)の先導で海を渡り、この稲佐の浜に到着するといわれ、旧暦の10月10日の夜には神迎(かみむか)えの神事が執り行われる。

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島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館

主に出雲大社を中心とした古代出雲についての展示を行っている博物館。出雲大社の東側にある。

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出雲そば(いずもそば)

出雲そば

出雲大社に参詣したら欠かせないのが出雲そば。出雲地方の郷土料理で、戸隠蕎麦、わんこ蕎麦と並ぶ日本の三大蕎麦の一つに数えられることもある名物。蕎麦の実を皮ごとひいて粉にするため、色が濃いのが特徴で、割子(わりご)と呼ばれる丸い形をした漆塗りの容器に入れて供する店が多い。出汁は蕎麦猪口に入れるのではなく、この割子に直接入れて食べる。

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出雲大社周辺の風景

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Japan Web Magazine 編集部

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