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六合赤岩

六合赤岩

山間の山村・養蚕集落

東京から車で約3時間、群馬の名湯、草津温泉にほど近い山の中に、その集落はある。集落の名は六合赤岩地区。六合とかいて「くに」と読む。「赤岩」「太子」「入山」「日影」「小雨」「生須」と、村を構成していた集落の数が6つあったことから名付けられた名前で、その一つ「赤岩」は、白砂川沿いの山あいの地に広がる人口200人に満たない集落だ。

この静かで美しい山間の集落では、かつて養蚕業が盛んに行われていた。

山深く、集落の背後に森林が迫るこの地は、すぐそばを流れる白砂川によって作られた「河岸段丘(かがんだんきゅう」と呼ばれる、河川の流れに沿って流域に形成される階段状の地形であり、地下水面が低く水利もそれほど良くはない為、農業だけで暮らしていくには大変な土地。昔から、集落の人々は農業の傍ら、何かしらの副業を行っており、それは現代にあっても変わりはないという。「つい数年ほど前まで高崎で会社員をしていた」と集落内で出会った年配の男性は話した。「男は山仕事、女は麻布作りなどに勤しんでいた」と、赤岩に残る絵図(1788年(天明8年))にも記されている。

そんな赤岩で、養蚕業が行われるようになったのは江戸時代後期頃といわれ、明治10年頃には養蚕業はこの地の主要な産業と呼ばれるまでに成長する。集落の人々に大切に育てられた蚕の繭(生繭)は、六合赤岩から70kmほど離れた場所に作られた日本初の機械製糸工場「富岡製糸場」にも運ばれ、重要な輸出製品となって日本の近代化に一役買うこととなるのだ。

富岡製糸場

富岡製糸場

富岡製糸場

富岡製糸場

六合赤岩の魅力をフルスクリーンで見る

六合赤岩

養蚕は主に家々の二階(三階)や屋根裏部屋で行われた。一階は煮炊き、食事、就寝などのスペース。二階は養蚕の為の空間。

豊かな自然の中で、蚕の餌となる桑を育て、大切に蚕を育てる。生まれたばかりの蚕は、25度から30度という高温を好み、温度変化に弱いので手間がかかるという。そして、幼虫はたくさん桑の葉を食べ、どんどん成長していく。学校の授業などで蚕を育てたことのある人なら記憶があるかもしれないが、蚕の幼虫は本当にたくさんの桑の葉を食べるのだ。

蚕を育てること。それは一家総出の大変な労働だったに違いない。とはいえ、それはこの六合赤岩集落に限ったことではなく、明治時代の上州(群馬県)一帯で行われていたことだった。富岡に製糸場ができたのも、上州で養蚕業が盛んだったためだ。

そして、養蚕業は、ほかの地域と同様、六合赤岩の集落にもうるおいをもたらした。労働が大変な一方、生繭を売ることによって貴重な現金収入が入り、それは集落の人々、特に生繭の生産や運搬などを管理していた家を豊かにした。その片鱗を垣間見ることができるのが、六合赤岩に今も佇む木造の立派な家や土蔵だ。六合赤岩の集落には、築50年以上の養蚕農家が今も数多く残っているが、その中でもひときわ目を引く湯本家は、江戸時代には医者をしていた家柄で、「サンカイヤ」とも呼ばれたという堂々たる三階建ての木造の建物は、養蚕業華やかりし頃の雰囲気を垣間見せてくれる。

六合赤岩

湯本家住宅

江戸時代から医者を務めていたという湯本家。1、2階部分は1806年(文化3年)に建てられたもので、蚕室として1897年(明治30年)に三階部分が増築されている。幕末には高野長英を匿ったと伝えられ、「長英の間」とよばれる部屋が保存されている。町指定の重要文化財。毎月最終日曜日に無料開放している。

六合赤岩
六合赤岩

集落内の道沿いに、昔ながらの立派な家が立ち並んでいる。

六合赤岩

最盛期には輸出額の6割近くを占め、日本の近代化の礎の一つとなった生糸(絹)生産も、1929年の世界恐慌以降、海外市場の喪失や、ナイロンなどの普及により衰退の一途を辿っていく。生糸の輸出が低迷し、生糸生産ひいては養蚕業が廃れるにつれ、上州各地の養蚕農家の数も次第に減少していった。

しかし、ここ六合赤岩では、戦争を挟んで、昭和40年代に至るまで養蚕業は盛んであったという。それは、農作業を含めたほかの新たな産業が興りにくい、例えば水利等の面で不利な土地柄や、開発の波を受けやすい主要道路の沿道にこの土地が面していなかった、という地理的要因も多分にあったかもしれないが、一つにはここ赤岩の人々の養蚕業に対する熱意もあったのだろう。集落の一角には、1962年~1963年(昭和37年~38年)頃に建てられた「稚蚕飼育所」が今でも残っており、当時の養蚕技術と、人々の熱意の一端を垣間見ることが出来る。

六合赤岩
六合赤岩
六合赤岩

稚蚕飼育所跡

卵から孵化したばかりの蚕(稚蚕)は温度変化に弱く飼育が難しいといい、集落では共同で稚蚕を飼育していた。この飼育所は昭和30年代後半に建てられたもので、敷地内には養蚕に欠かせない土室(どむろ)と呼ばれる温度管理のための設備等が残っており、共同稚蚕飼育が始まった頃の養蚕技術を知ることの出来る貴重な施設となっている。

六合赤岩
六合赤岩

今、六合赤岩にはかつてのような養蚕業の姿はなく、蚕の餌であった桑畑の桑の葉は、桑茶となって販売されている。

産業は変わり、それにともない集落の風景も変化した。それは、高度成長期以降の日本国内のそこかしこで見られたことだ。「繁栄」という名のもとで歴史的な景観は失われ、「便利さ」という言葉の陰で昔ながらの温かさは消えていった。「素朴」はスピードと量のむこうに追いやられ、「無骨さ」は洗練と合理化の前で、文字通り骨を抜かれてしまった。それでも。心ある人と、心あるものは残る。本物は残っていく。

すべてが消えてしまわずに、この山間の集落にこれだけの景観が、今に至るまで維持されたこと、もちろん、それはただの幸運だけではないだろう。集落の人々や、この集落の美しい景観を守ろうとした人々が様々な努力をしてきたからに違いない。

数年前まで高崎で働いていたという件(くだん)の年配男性は言った。「住んでいると不自由なことだらけだが、いざ町に出ると、やっぱりここが恋しくなる。」と。

養蚕業華やかりし頃の面影を垣間見ることができる六合赤岩の建物と家並みは、「中之条町六合赤岩伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている。

六合赤岩
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六合赤岩

集落のそばを流れる白砂川

六合赤岩

白砂川対岸から見た六合赤岩の集落

六合赤岩
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六合赤岩
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かいこ家(かいこんち)

1932年(昭和7年)に建てられた当地の典型的な養蚕農家の建物。かつて蚕室として使用していた2階部分に養蚕の用具や資料が展示されている。

赤岩の養蚕農家の構造の特徴として、デバリ(出梁)とセガイと呼ばれるものがあり、デバリとは家の梁(はり)が家の正面側の外壁よりも外に張り出したような構造、「セガイ」は「デバリ」が二重になり、「デバリ」の上に桁(けた)が設置されている構造のこと。

このような構造によって、外側の柱が家を支えるので、家の中には広々とした空間が確保され、その中で養蚕を行えるという造りになっている。1階は生活のためのスペースで床上と土間にわかれ、二階が間仕切りのない広々とした部屋で養蚕に用いられた。そうした構造の家屋の中には3階建てのものもあり、間口10間、奥行き4間半という巨大な家も。

養蚕が衰退した後は、盛んとなったこんにゃく栽培のための、保存や作業スペースとして用いられているという。

六合赤岩
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六合赤岩

赤岩神社

集落の人々の崇敬を集める赤岩神社。元は飯綱神社と呼ばれていたが、1908年(明治41年)に旧赤岩村内の神社を合祀し、赤岩神社となった。集落内にはこの赤岩神社を始め、村の人々の信仰を表す小さな祠や観音堂、石碑などが点在している。

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赤岩には「新蔵」「中蔵」「穀蔵」「ネド蔵」「味噌蔵」という用途別に建てられた蔵が33棟以上ある。「新蔵」「中蔵」はある程度裕福な家が所有した衣服や書物などを保管するための蔵であり、「ネド蔵」は麻を柔らかくするために湯につけておくための場所として用いられた。桑の葉の保管場所としても用いられたという。

六合赤岩
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雪の中の「上の観音堂」

赤岩で唯一のかやぶき屋根の建物「上の観音堂」は1764年(宝暦14年)に建てられた赤岩では最も古い建物で、堂内には中央に聖観音立像、右に薬師如来像、左に不動明王像が安置されている。

六合赤岩
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六合赤岩温泉 長英の隠れ湯

幕末に赤岩地区に隠れ住んだといわれる高野長英にちなんで名づけられた長英の隠れ湯。アルカリ性単純温泉でつるつるとした肌触りの湯は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復健康増進等に効能があるという。入湯料金は大人400円。休館日は毎週木曜日。
10:00~20:00まで営業している。(最終入館19:30)※7・8月は10:00~21:00(最終入館20:30)。問い合わせ:0279-95-3335


「六合赤岩温泉 長英の隠れ湯」は2019年に閉館し、近くに移転しましたが2024年2月現在、そちらも閉業しています。

六合赤岩地区へのアクセス

●公共交通機関で:JR吾妻線「長野原草津口」駅より町営バスで約15分。「南大橋」バス停下車後徒歩約5分ほど。本数が少ないので注意。六合地区路線バス時刻表

●車で:六合赤岩へ車で訪れる場合は、関越自動車道の渋川伊香保ICから約50km、約1時間20分ほど。ICから国道17号、国道353号、国道145号、国道292号を経由、南大橋バス停を右折。または、上信越自動車道碓氷軽井沢ICから国道17号、国道145号、国道146号、国道292号を経由して約50km、約1時間30分。冬季は積雪の為交通規制がかかる箇所もあり、場所によっては道幅も狭くなるので注意。

六合赤岩地区周辺の観光スポット・見どころ・遊びどころ・食事処

道の駅 六合

温泉のある道の駅。敷地内に食事処「六合の郷しらすな」、六合観光物産センター、軽食喫茶くにっこハウス、応徳温泉くつろぎの湯(日帰り温泉)、宿 花まめ(温泉宿)、温泉足湯などがある。トイレ(身障者用あり)は24時間利用可能。

 

旧国鉄長野原線・太子駅跡

太子駅は、戦時中に鉄鉱石を搬出するために造られた貨物専用線・太子線の駅。戦後は旅客の駅としても使われたが、1971年(昭和46年)太子線が廃線となり、その役目を終えた。線路の跡地は地元の人々の生活道路として今も使われ、鉄橋やトンネルなども残っている。現在、太子駅跡地にはコンクリートの基礎や車止めが残されている。

 

チャツボミゴケ公園

鉄鉱石の鉱床がある六合地区元山では、1966年(昭和41年)まで露天掘りによる採鉱が行われていた。その跡地に作られたのがチャツボミゴケ公園で、露天掘りの窪み(通称・「穴地獄」)に、酸性の水の流れる所に生育するチャツボミゴケが見られる。

 

暮坂高原 花楽の里

食事、特産品、創作体験、ギャラリー、観光情報がそろった暮坂高原の総合ターミナル施設。県道55号(中之条草津線)沿いにある。豊かな自然を体感できる観光スポット。

 

冬住みの里資料館

六合村はかつて、草津の人々が厳冬期を過ごしたことから「冬住の里」と呼ばれていたという。冬住みの里資料館は、名主だった市川家の蔵や母屋が利用されたもので、草津を訪れた多くの文人らが残した書や絵、美術工芸品、民具や生活器具とうが展示され、当時の雰囲気を感じることができる。

 

ねどふみの里

「ねどぶみ」とは、刈り取ったスゲを温泉に浸し、足で踏んで柔らかくする作業のこと。そうして柔らかくしたスゲで編んだ草履やむしろは丈夫で通気性もよく農作業等で重宝されたという。ねどふみの里は、スゲむしろ・こんこんぞうりの創作体験等、山里の暮らしを体験できる(要予約)ほか、地元の人が作ったこんこんぞうりや、ヤマブドウのつるで編んだ籠等も販売している。

 

よってがねぇ館

古くから村の人々の生活の中で使われてきた「こんこんぞうり」の手づくり体験や、地元のお母さんたちがつくる田舎の味、純手打ちうどん(土日のみ)を楽しむことができる。浅間山を望む高台に建つ施設(ふるさと活性化センター)。

 

野反湖

野反湖は周囲12km、標高1,513mのダム湖で、2,000m級の山々に囲まれた山岳地帯にある湖。周辺は上信越高原国立公園の特別地域及び自然休養林に指定されている。春から秋にかけて、ハイキング、フィッシング(5月1日~11月10日(ただしイワナは9月20日まで) )、バードウオッチング、高山植物の観察(コマクサ、レンゲツツジ、シラネアオイ、ノゾリキスゲ等)、キャンプなどが楽しめる。

 

花敷温泉

イノシシ狩りの為にこの地を訪れた源頼朝により発見されたと伝えられる温泉。湯に桜の花びらが敷き詰めたように浮いていたことからこの名がついたとか。1日5室限定の、草津温泉からも程近い秘湯の癒しの一軒宿。

花敷温泉

花敷温泉

花敷温泉

花敷温泉

 

尻焼温泉 星ヶ岡山荘(旧 関晴館)

尻焼温泉は平家の落人によって発見されたと伝えられる川底から湧出している温泉。星ヶ岡山荘は川原の露天風呂から歩いて数分の場所に立つくつろぎの宿。

 

百八十八観音

国道292号の草津町との境界の手前、品木ダムによってできたダム湖・上州湯の湖を見下ろすように立つ石仏群。江戸時代に品木の山本梅右衛門が、坂東三十三観音、西国三十三観音、秩父三十四観音、四国八十八霊場を模して作ったもので、188体のうち176体が今も残っている。江戸時代の人々の信仰心を窺い知ることの出来る貴重な史跡。

 

そば処 くれさか

六合・暮坂高原にある十割そばの店。民家もまばらな静かな山の中にたたずむ。

 

六合赤岩 まとめ

今も伝統的な建築様式の養蚕農家や蔵などが通りに沿って点在する町並み。「中之条町六合赤岩重要伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。その保存範囲は東西約1070メートル、南北約930メートル、面積にして約63ヘクタールという広大なもの。赤岩本道を中心に、伝統的な家屋や蔵に加え、神社、農地、墓地、お堂、そして山林などが含まれています。

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Japan Web Magazine 編集部

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