金山城

金山城

難攻不落の城

群馬県太田市は関東の北部にある人口約22万人の都市だ。群馬県の県庁所在地、前橋市から東へ約30kmに位置するこの街は、江戸時代、「子育て呑龍さま」として今も地元の人々に親しまれている「大光院」の門前町として、また日光例幣使街道の宿場町「太田宿」として発展した場所で、それ以前は、太平記でその名を知られる新田義貞の一族が開発した地であることから「新田荘(にったのしょう)」とも呼ばれていた。大正以降は、現在の富士重工の前身である中島飛行機のお膝下として発展、現在も富士重工の企業城下町であり、さらに三菱電機、サッポロビール、日野自動車、味の素ゼネラルフーヅ、キッコーマン、コクヨ、ミシュランなどのそうそうたる企業の工場が多数点在する北関東随一の工業都市としての顔を持つ。そのほか、「ハンカチ王子」・斎藤佑樹選手の出身地として、また漆黒の極太焼きそば「太田焼きそば」の地としてその名を知っている人もいるだろう。

その太田市のほぼ中心に聳える標高239メートルの金山に築かれた城が「新田金山城」だ。通称「金山城」「太田金山城」とも呼ばれる。長らく「平安末期~鎌倉時代に新田氏によって最初の城が築かれ、新田義貞一族滅亡と共に一度廃城となった」とされてきたが、発掘調査や文献での正確な裏づけは無く、現在では、1469年(文明元年)に岩松家純(新田家純)によって築城されたという説が一般的。岩松家純の子・昌純の代に、重臣横瀬泰繁が下克上により権力を握り、1528年(享禄元年)には由良(横瀬)成繁が城主に、その後子の国繁、1584年(天正12年)には北条氏へと城主は変わった。

金山城は、東西3.1km、南北3.8kmという国内でも最大規模の広大な縄張りを持つ城で、山頂の実城(みじょう)を中心に四方に伸びる尾根上に南曲輪、鍛冶曲輪、二の曲輪、三の曲輪が築かれ、虎口、物見台、矢倉台、そしてそれらを取り囲むように土塁、石塁、堀切が設けられている。その守りは堅牢強固で、かの上杉謙信も五度ほどこの城を攻め立てたが落城とはならず、難攻不落の名城と謳われた。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐によって北条氏が滅亡、廃城となった。

現在城跡は整備され、30台ほど止められる駐車場やトイレ、休憩所なども設置されている。「中世の山城には総石垣の城はない」とされていたそれまでの定説を覆す迫力ある石垣、石塁は特に見もので、難攻不落といわれたこの城の往時の姿を垣間見せてくれる。1934年(昭和9年)に「金山城跡」(かなやまじょうあと)として国の史跡に指定、また2006年(平成18年)には日本100名城の一つにも選定されている。

金山城の魅力をフルスクリーンで見る

金山

麓から見た金山。太田市のどこからでも望む事の出来るシンボル的な山。

金山城
金山城
金山城

西矢倉台下堀切

金山城
金山城
金山城
金山城
金山城

馬場下通路

金山城

物見台

金山城

物見台から見た風景。緩やかな傾斜の町並みの向こうに上州の山々が見える。

金山城

金山城
金山城
金山城

馬場曲輪(ばばくるわ)

金山城

大堀切

金山城
金山城

月の池

金山城

大手虎口

金山城
金山城

金山城

大手虎口南上段曲輪

金山城
金山城

日の池

金山城
金山城 井戸

井戸

南上段曲輪から望む太田の街

南上段曲輪から望む太田の街

金山の大ケヤキ

金山城の興亡を見てきた歴史の証人、推定樹齢800年の金山の大ケヤキ

新田神社

本丸跡に建つ新田神社。明治の廃城令の後に建てられたもので新田義貞公を祀る。

新田神社新田神社
新田神社
金山城本丸跡
金山城本丸跡

本丸跡

金山城本丸跡
金山城

本城西端

金山城へのアクセス

起点となる太田駅からは少々遠いので、車で訪れるのがベスト。山頂近くに広い駐車場があるので、そこに駐車し城跡へ。駐車場から本丸までは徒歩で20分ほど。道は大分整備されているが、スニーカーなどの歩きやすい靴が良いだろう。公共交通機関で行く場合は、太田駅までは東武伊勢崎線特急「りょうもう号」で浅草から約80分。太田駅からは徒歩で50分ほど。

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金山城

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