一乗谷朝倉氏遺跡

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福井県福井市の南東約10キロ、一乗谷にある朝倉氏遺跡は、1471年(文明3年)に戦国武将・朝倉孝景が越前支配の根拠地をこの地に置いて以後、朝倉氏五代が百余年にわたり栄華を誇った城下町跡。

山城である一乗谷城を中心に、山麓に城下町が広がり、1467年から10年間続いた応仁の乱で荒廃した京の町から数多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたこともあり、最盛期にはその賑わいと華やかさ、整然とした町並みから、「北ノ京」「北陸の小京都」とも称された。しかし、1573年(天正元年)8月、朝倉義景が「刀禰坂の戦い(一乗谷城の戦い)」で織田信長に大敗、義景が一乗谷を放棄して大野へ逃れた翌日、一乗谷は信長の軍勢により火を放たれ瞬く間に灰燼に帰したという。

発掘調査で城下町の遺構が発見され、武家屋敷、寺院、町屋、職人屋敷や道路に至るまでがほぼそのままの姿で発掘されており、室町時代末の戦国武将の優れた文化を示すものとして遺跡全体が国の特別史跡に、一乗谷朝倉氏庭園として湯殿跡庭園、南陽寺跡庭園、諏訪館跡庭園、朝倉館(義景館)跡庭園の4つの日本庭園が特別名勝に指定されている。

現在、かつての城下町が復原町並として保存され、往時の面影を感じられる建物や生活雑貨を間近に見学することができるほか、侍屋敷跡、西山光照寺跡、安養寺跡、3000体以上の石塔、石仏群、一乗谷朝倉氏庭園、朝倉館跡等、面積278ヘクタールの遺跡内に点在する数多くの遺構を見学できる。

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朝倉館跡

一乗谷朝倉氏遺跡の中心部に位置する朝倉家の代々の当主が居住した館跡。約6400平方メートルの広大な敷地の周囲が幅約8メートルの濠で囲まれており、三方の土塁には門や隅櫓が存在した。敷地内には十数棟の建物があったといわれ、生活の場であったとされる常御殿を中心に北側には台所や持仏堂、湯殿、厩など日常生活のための建物が並び、南側には主殿や会所、数寄屋、庭園、日本最古ともいわれる花壇など、接客用の建物などが並んでいた。

建物はすべて礎石の上に角柱を立てて建てられており、舞良戸や明障子などの引き戸を多用、畳を敷きつめた部屋も多く、屋根は杮板等で葺いていたと考えられている。書院造の成立過程を知る上でも貴重な遺構。敷地内には刀禰坂の戦いで自害した朝倉義景の墓もある。

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唐門

朝倉館跡正面にある唐門。幅2メートルあまりの唐破風造り屋根の門で、朝倉義景の善提を弔うために寄進されたものと伝えられる。江戸時代中期頃に再建されたもの。

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復原町並

最盛期には1万人を超える人々が暮らし、小京都とも称されたという城下町跡。南北を城戸に囲まれた約1.7キロメートルの谷間に形成されていた。1995年(平成7年)に、発掘結果や史料等をもとに、当時の町並みが再現された。土間や台所、居間に厠と、当時の人々の暮らしぶりがわかりやすく再現展示されている。家の中に足を踏み入れることもでき、まるで中世にタイムスリップしたような感覚を味わえる。

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一乗谷朝倉氏遺跡見学

朝倉館跡、復原町並、湯殿跡庭園、南陽寺跡庭園、諏訪館跡庭園、西山光照寺跡、一乗谷城等、広範囲に点在する一乗谷朝倉氏遺跡の一つ一つをゆっくり見て回るには半日~かかる。歴史好きや戦国時代好きの方は、ゆったりとしたスケジュールを取るのがよいだろう。とはいえ、復原町並と唐門を除いて建物はほとんどなく礎石や石組み等が点在しており、室町時代の貴重な遺構といえども歴史にあまり興味のない人にとっては、「自然豊かな場所」に過ぎない可能性もあるので、同行者の嗜好とバランスを取るのがおすすめだ。

一乗谷朝倉氏遺跡へのアクセス

公共交通機関で

JR福井駅から越美北線で約15分、一乗谷駅下車、徒歩25分。一乗谷駅から徒歩5分の場所にある福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館に無料貸出自転車あり。

JR福井駅前バス乗り場9番(東郷線)で約25分、武家屋敷前。下車、徒歩。

土日祝日のみ、遺跡内無料周遊バス「朝倉ゆめまる号」が30分間隔で運行している。
運行 日時:土日祝 9:30 – 17:30
運行ルート:一乗谷朝倉氏遺跡資料館~一乗谷史跡公園センター~復元町並~一乗ふるさと交流館~盛源寺

車で

北陸自動車道福井ICから国道158号線(美濃街道)を東方向、大野方面へ。ローソン先の信号「天神」で右折、天神橋を渡って左折し道なりに。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(安波賀町)を過ぎ、福井市ホタル資料館を過ぎ、一乗谷朝倉氏遺跡。北陸自動車道福井ICから車で約10分。

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